鎌倉前期、後白河(ごしらかわ)院の妃(きさき)建春門院(平滋子(しげこ))に仕え、中納言とよばれた女房の日記。この日記には本来の名はないという。巻頭歌「たまきはるいのちをあだにききしかどきみこひわぶるとしはへにけり」によって『たまきはる』の名称もあり、『健寿(けんじゅ)御前日記』の称も用いられている。作者は1157年(保元2)出生、没年は不明。父は藤原俊成(しゅんぜい)、母は藤原親忠(ちかただ)の女(むすめ)美福門院加賀(びふくもんいんかが)で、藤原定家(ていか)の同母姉にあたる。長姉は後白河院京極局(きょうごくのつぼね)で、大納言(だいなごん)藤原成親(なりちか)の妻。1168年(仁安3)12歳で出仕、建春門院没後は鳥羽(とば)天皇皇女八条院暲子(しょうし)に再出仕し、八条院の猶子(ゆうし)、春華門院(後鳥羽(ごとば)天皇皇女昇子内親王)の養育にあたる。八条院中納言の女房名もあり定家の『明月記』では「健御前」と記す。1206年(建永1)50歳で出家した。
日記は、二度の宮仕えを主とした40余年の回想記で、奥書に「建保(けんぽう)七年(1219)三月三日書了」と見え、作者が63歳のおりであったことを示す。建春門院への追慕の情の表白と、転換期の宮廷の様相が詳細に描かれているのは注目に値しよう。
[糸賀きみ江]
『玉井幸助校註『日本古典全書 健寿御前日記』(1954・朝日新聞社)』▽『鈴木一彦・鈴木雅子編『たまきはる(健御前の記)総索引』(1979・明治書院)』
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