日本歴史地名大系 「弁財天町」の解説
弁財天町
べんざいてんちよう
弁財天町
べんざいてんちよう
弁財天町
べんざいてんちよう
南北に通る
平安京の条坊では、左京六条三坊四保九町中央の地。
寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「弁才天丁」とみえ、以後変化はない。町名について「坊目誌」は、「往時弁財天の祠此町にあり故に名く」とし、また現東山区の「下河原弁天町は当町より開拓し移住せり」とする。
町内には、京都所司代に属して行政・検察・司法の末端機構の役割を果した四座雑色の一家である松尾家があった。京都御役所向大概覚書によればその管轄区域は、室町四条の辻より巽(東南)の方の、洛外町続町九五町・洛外村一八四村であった。徳川幕府による四座雑色設定は慶長六年(一六〇一)であるが(雑色要録)、松尾家の町内居住年次は不明。
弁財天町
べんざいてんちよう
弁財天町
べんざいてんちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報