弘法にも筆の誤り(読み)コウボウニモフデノアヤマリ

  • こうぼう
  • にも 筆(ふで)の誤(あやま)り
  • 弘法
  • 弘法(こうぼう)にも筆(ふで)の誤(あやま)り

精選版 日本国語大辞典の解説

(弘法大師のような書道の名人でも書き損じをすることがあるの意) その道に長じた人でも、時には失敗をすることがあるというたとえ。さるも木から落ちる。
※滑稽本・笑註烈子(1782)二「烈子大に打笑ひて、いそぎ覆える箔をとりのけ給え、弘法にも筆のあやまりなんどいいければ」

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ことわざを知る辞典の解説

弘法大師にも書き誤りはある。名人や達人でも時には失敗があることのたとえ。まして凡人なら誤りがあっておかしくないことを示唆する。

[使用例] 「判ってますよ。弘法にも筆のあやまりってことがあるんだから勘弁しておくんなさい、人間のすることなんだから」「弘法はあやまりですむだろうが料理屋はすまないよ。お前たちが間違ったら店はさびれるんだ」[川口松太郎*しぐれ茶屋おりく|1969]

[使用例] 弘法も筆のあやまり、柳田國男も計算ちがい、右の引用の中の「略ゝほぼ平均五十と仮定しても全国に約百万の字があるのである」という個所は《約一千万の字がある》とするのが正しい。〈略〉こんな単純な掛算の桁数を間違えるとは、柳田國男も妙な人だ[井上ひさし*私家版日本語文法|1981]

[解説] 弘法大師(空海、774-835)は、天皇、たちばなのはやなりとともに三筆といわれる書の名人でした。大師には、応天門の扁額を揮毫し、掲げられた額の「應」(応)の字に点が一つ欠けていることに気づき、下から筆を投げつけて、点を打ったとする伝説があります(今昔物語など)。このことわざは、この伝説を連想させる表現ですが、その初出は江戸中期で、年代に大きな隔たりがあるのはなぜでしょうか。じつは伝説では、筆の誤りと認識されず、なぜか剥落した(あるいは故意に抜かした)とされ、点を補った空海の超能力が強調されていました。あまりにも偉大な「弘法」と「筆の誤り」を結びつけるまでに九百年の歳月を要したともいえるでしょう。

[類句] 猿も木から落ちる河童の川流れ/上手の手から水が漏る

〔英語〕Even Homer sometimes nods.(ホメロスも時に居眠りする)

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