日本大百科全書(ニッポニカ) 「王朝国家」の意味・わかりやすい解説
王朝国家
おうちょうこっか
律令(りつりょう)国家が崩壊したあと、中世国家に至るまでの時期、10~12世紀の国家支配のあり方を示す用語。律令国家支配は10世紀に入るころには行き詰まっており、鎌倉幕府が成立する12世紀末までの約300年間の国家支配を、律令国家と称することは躊躇(ちゅうちょ)されていた。1956年(昭和31)高尾一彦が王朝国家という用語を使ったが、58年戸田芳実(よしみ)が王朝国家という用語を、律令国家から中世国家に至る間の国家として概念づけた。律令国家支配の基本であった個別人身支配原則が放棄されて、田地に対する賦課(ふか)を基本とする税制体系へ転換した10世紀初頭から、諸国の国司の支配下において律令制支配は変化した。もはや律令国家とよぶのは適当でない。朝廷内部ではその後も律令の制度が残存していたが、そのような朝廷のあり方をいうならば、中世や近世にも律令の制度が残存していた。王朝国家とは、諸国で国司の支配下のあり方からたてられた概念である。
王朝国家が10世紀初頭に始まることはほぼ異論がないが、下限については、11世紀中期までとする説と、12世紀末の鎌倉幕府成立までとする説とがある。それは、中世の開始をどのように解するかで下限の設定を異にするのである。12世紀末までとする説では、11世紀40年代でくぎって、前期王朝国家と後期王朝国家とする。国家支配体制からたてられた王朝国家概念は、従来の政治史からいわれた摂関(せっかん)時代、院政時代という時代区分とは異なる視角から提起されたものだが、摂関時代、院政時代という時代区分から考えられてきた国政の変化などは、王朝国家の観点から再検討されるべきものが少なくない。
[坂本賞三]
『坂本賞三著『日本王朝国家体制論』(1972・東京大学出版会)』▽『坂本賞三著『日本の歴史6 摂関時代』(1974・小学館)』