出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
熊本市の旧城南町東阿高字御領にある縄文時代貝塚。木原山からのびる舌状台地の先端に位置する。ほとんどがヤマトシジミで占められる(98%以上)奥湾性貝塚で,貝層が北側台地上を覆う広大な貝塚であったらしいが,現在は台地上の神社付近と,台地北側崖線付近に残存するにすぎない。古くから知られ,鳥居竜蔵,小林久雄らによって調査され,隣接の阿高貝塚とともに,九州縄文土器編年の基本となった。1951年金関丈夫,坪井清足らによって発掘調査が行われ,貝層中より後期御領式土器,貝層下より西平式土器が出土した。ほかに押型文土器,三万田式土器が検出されている。御領式土器は,横位の凹線・沈線で口縁部・肩部に施文され全体が研磨された土器である。精製,粗製に分かれ,後者は深鉢形土器が多いが,前者には,深鉢形,浅鉢形のほかに壺形,注口土器,高坏形土器などがある。土偶,管玉などが出土する。風習的抜歯のある埋葬人骨が検出されている。
執筆者:木村 幾多郎
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熊本県熊本市南区城南町東阿高(じょうなんまちひがしあだか)にある縄文時代の貝塚。縄文時代後期末ないし晩期初頭に属し、ヤマトシジミからなる純淡貝塚。黒灰色、磨研、直線的な凹線文を特色とする御領式土器の標式遺跡。JR宇土(うと)駅の北東約6キロメートルの位置にあり、木原山の北麓(ほくろく)、沖積地を控えた台地上に立地する。九州の縄文貝塚としては、もっとも規模が大きい。西方に凹地(くぼち)を隔てて阿高・黒橋貝塚がある。いままでに小林久雄(1895―1961)、金関丈夫(かなせきたけお)(1897―1983)らによる発掘が行われてきた。貝層中より御領式、貝層下から西平式、押型文などの各土器片が出土する。抜歯や頭部変形のある埋葬人骨、甕棺(かめかん)などの発見例が知られている。国指定史跡(1969)。
[岡本 勇]
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