志々島
ししじま
荘内半島高谷鼻の北方に浮ぶ島で、粟島東方に位置する。永暦二年(一一六一)四月一三日の善通曼荼羅両寺所司解案(東寺百合文書)によると、「志侍島」はかつて善通・曼荼羅両寺(現善通寺市)の寺領であったが、当時は国衙領となっていた。寛永国絵図に島名がみえ、庄内浦に所属。幕末に庄内村から分村したと考えられ、「西讃府志」によれば島の広さは東西一三町五七間・南北四町四五間、周囲三四町二九間、丸亀から三里。波戸は長さ四〇間、海の深さ四間余、船泊によく南風のほか障害なし。反別は畑一七町八反余・屋敷三反余。家数一三三・人数六七三、漁船五〇。林は一町余、うち居林九反余。漁業の島として栄え、イイダコ、カレイの漁獲が多かった(詫間町誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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志々島
香川県三豊市、詫間(たくま)港の北西約5キロメートルに位置する塩飽諸島の島。「ししじま」と読む。面積0.59平方キロメートル。1人の人間の墓を、遺体を埋葬する「埋め墓」と霊を祭る「参り墓」の2種類つくる「両墓制」が残る島。樹齢1000年を超える大クスノキがあり、県の天然記念物に指定されている。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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