戸田城聖(読み)トダジョウセイ

デジタル大辞泉 「戸田城聖」の意味・読み・例文・類語

とだ‐じょうせい〔‐ジヤウセイ〕【戸田城聖】

[1900~1958]宗教家石川の生まれ。本名は甚一。牧口常三郎とともに創価教育学会設立。第二次大戦後、同会創価学会として再建し、第2代会長となる。折伏しゃくぶくによる布教を推進し、また公明党結成の基礎をつくった。

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精選版 日本国語大辞典 「戸田城聖」の意味・読み・例文・類語

とだ‐じょうせい【戸田城聖】

  1. 宗教家。創価学会の第二代会長。本名は甚一。石川県生まれ。小学校教員であったが、牧口常三郎に師事して日蓮正宗入信。昭和五年(一九三〇)牧口を会長とする創価教育学会を創立。第二次世界大戦中弾圧で検挙されたが終戦直前に保釈となり、同二一年創価学会と改称し再建。明治三三~昭和三三年(一九〇〇‐五八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「戸田城聖」の意味・わかりやすい解説

戸田城聖
とだじょうせい
(1900―1958)

宗教家。創価学会第2代会長。石川県江沼郡(加賀市)に生まれる。本名は甚一。1903年(明治36)一家は北海道に移住。尋常小学校卒業後、独学で小学校准訓導の資格を取得し北海道で教員となる。1920年(大正9)上京し、北海道出身の小学校校長牧口常三郎(まきぐちつねさぶろう)を頼って師事したが、のちに教員を辞め学習塾「時習学館」の経営や出版業などに携わる。1928年(昭和3)日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)に入信し、1930年に「創価教育学会」を牧口と設立(正式な発会式は1937年)して彼の創価教育学説の普及と教育宗教運動を援助したが、1943年同会の弾圧事件で検挙された。不退転のまま第二次世界大戦の敗戦直前の1945年7月に保釈出所した彼は、同会を創価学会として再建し、1951年(昭和26)会長となった。『法華経(ほけきょう)』の生命論的解釈や功徳(くどく)論を展開して折伏(しゃくぶく)=布教を組織的に推進したほか、「王仏冥合(おうぶつみょうごう)論」や「原水爆禁止宣言」を発表して同会の政治的・社会的活動を理念づけ、その後の発展の基盤を築いた。

中野 毅 2018年6月19日]

『全集出版委員会編『戸田城聖全集』全9巻(1981~1990・聖教新聞社)』

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20世紀日本人名事典 「戸田城聖」の解説

戸田 城聖
トダ ジョウセイ

昭和期の宗教家 創価学会第2代会長。



生年
明治33(1900)年2月11日

没年
昭和33(1958)年4月2日

出生地
石川県加賀市

出身地
北海道厚田郡厚田村

本名
戸田 甚一

別名
前号=城外,城正

学歴〔年〕
高等小学校〔大正3年〕卒,中央大学夜間部〔昭和6年〕卒

経歴
5歳の時一家で北海道に移住。小学校卒業後、小学校訓導の資格をとり、夕張の小学校に勤務。大正9年上京し、牧口常三郎が校長をしていた下谷西町小の代用教員となる。その後、保険の外交員、学習塾の経営などをしながら中央大学夜間部に通学。昭和3年牧口に続いて日蓮正宗に入信。5年牧口を会長に創価教育学会を設立、理事長に就任。同年より牧口の「創価教育学大系」を刊行。12年正式に旗上げし教勢を拡大。18年弾圧を受け、投獄されるが、非転向をつらぬき20年出獄。21年創価学会と改称して再建、26年第2代会長に就任。75万世帯を目標とする折伏大行進を宣言して活発な運動を展開、また“王仏冥合論”を唱え、政界進出をはかって公明党の基盤をつくった。著書に「生命論」、「戸田城聖全集」(全7巻)など。

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改訂新版 世界大百科事典 「戸田城聖」の意味・わかりやすい解説

戸田城聖 (とだじょうせい)
生没年:1900-58(明治33-昭和33)

宗教家。創価学会第2代会長。本名甚一,旧号城外,城正。石川県江沼郡出身。1903年一家で北海道へ移住,14年小学校高等科卒業後に札幌の問屋で奉公。独学で小学校準訓導の資格をとり代用教員となった。20年上京,牧口常三郎の下で教員となり,以後行動を共にした。28年日蓮正宗に入信,30年牧口に協力して創価教育学会(創価学会の前身)を設立,理事長に就任した。出版・印刷業をはじめ受験塾を経営するなど事業家としても活躍。43年不敬罪,治安維持法違反で牧口らとともに投獄され,45年敗戦直前に出獄。46年1月創価教育学会を創価学会として再建,折伏(しやくぶく)活動で青少年信者を育成し,51年5月第2代会長に就任した。獄中体験にもとづいて,生命論を中心とする現世利益と現状打破を説いて他宗を排撃,大折伏運動で創価学会が大教団となる基盤をきずいた。また〈王仏冥合論〉により創価学会の政治進出を理論化した。
創価学会
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「戸田城聖」の意味・わかりやすい解説

戸田城聖
とだじょうせい

[生]1900.2.11. 石川
[没]1958.4.2.
創価学会第2代会長。 19歳で上京し,牧口常三郎が校長をしていた小学校に教師として採用され,以後彼を師と仰いだ。相次ぐ妻子の死を経て,真宗,キリスト教を遍歴したのち,1928年牧口とともに日蓮正宗に入信した。 30年,牧口を会長に創価教育学会を設立,出版業をはじめ多角的事業経営へ乗出すが,反国家的とみなされて 43年,牧口とともに投獄された。第2次世界大戦後,獄死した牧口の志を継ぎ,学会を創価学会として再建,理事長に就任する。 51年に会長となり,折伏 (しゃくぶく) による布教活動のかたわら,反核・平和運動を唱えた。著書に『生命論』 (1949) ,『王仏冥合論』 (56) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田城聖」の解説

戸田城聖 とだ-じょうせい

1900-1958 昭和時代の宗教家。
明治33年2月11日生まれ。牧口常三郎に師事。昭和3年日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)に入信。5年牧口と創価教育学会を設立,理事長となる。18年弾圧により投獄されるが,非転向をつらぬき20年に出獄。翌年創価学会と改称して再建,26年2代会長。折伏(しゃくぶく)活動を推進し,また王仏冥合(おうぶつみょうごう)をとなえ,学会の政治進出を理論づけた。昭和33年4月2日死去。58歳。石川県出身。中央大卒。本名は甚一。別号に城外,城正。

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367日誕生日大事典 「戸田城聖」の解説

戸田 城聖 (とだ じょうせい)

生年月日:1900年2月11日
昭和時代の宗教家。創価学会第2代会長
1958年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の戸田城聖の言及

【創価学会】より

…東京都新宿区信濃町に本部をおく日蓮正宗の在家信者によって構成される宗教団体。1930年11月に牧口常三郎戸田城聖とともに創立した創価教育学会を母体に,46年戸田が創価学会として再建した。1937年に発会式をあげて布教活動を本格化した創価教育学会は,法華経を唯一として他宗を排撃,大麻(神宮神礼)奉斎を拒否したため43年弾圧され,戸田,牧口らは投獄された。…

※「戸田城聖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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