中国,西晋の税制。《晋書》食貨志によると,呉を平定して天下を統一した時点(280・太康1)で,土地制度占田・課田制とともに発布された。〈晋令〉に戸調の編目があり,曹魏の戸調(戸ごとに均額の繊維製品等を課す税制)をうけついだ制度で,大綱は以降南朝にまで受けつがれた。税額は,戸主が丁男(16~60歳)の戸は絹3疋(1疋は長さ4丈)と綿(まわた)3斤,女子あるいは次丁男(13~15歳,61~65歳)が戸主の場合は半額,辺郡は距離に応じて2/3,1/3と減額し,西南の少数民族は戸ごとに賨布(そうふ)1疋,遠方では毎戸1丈を納める定めであった。また占田を認められた戸は,戸ごとに義米3斛(こく),遠方のものは5斗,極遠のものは銭28文を納める条項もある。実際の徴収に当たっては戸の貧富に応じ9段階の戸等を設け,徴収額を調整したらしいが,晋の統一は30年で瓦解し,実施状況をうかがうに足る記録や文書を欠くので,詳細はつかみがたい。
執筆者:池田 温
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、280年に晋(しん)朝が公布した税法。『晋書(しんじょ)』食貨志(しょっかし)に「丁男(ていだん)の戸は歳ごとに絹三匹、綿(まわた)三斤を輸し、(丁)女及び次丁男の戸(主)となる者は半輸す。其(そ)れ諸辺郡はあるいは三分の二、遠き者は三分の一(を輸す)。夷人(いじん)は布(そうふ)を輸す。戸ごとに一匹。遠き者はあるいは一丈」と規定する。戸調は戸対象の税で、前漢以来の人頭税である算賦(さんぷ)や固定資産税である訾算(しさん)は後漢(ごかん)末に廃止され、戸ごとに絹2匹、綿2斤の税法が創設され、それが発展して戸調式となった。一般には戸の貧富によらず一律賦課とされるが、反対意見もある。戸調式は晋朝の土地制度である占田(せんでん)法・課田(かでん)法とともに公布されたため、税の内容は土地制と関連して考察されることが多い。
[中村裕一]
西晋の武帝(司馬炎)が呉を平定して天下を統一した直後の280年に発布した税法。戸調は魏の曹操(そうそう)のとき戸ごとに課した現物税で,晋はこれを受け継ぎ,丁男のいる戸に絹3匹,綿(まわた)3斤を課した。晋には戸調令なるものもあったらしいが,令と式の関係は不明。ただ280年の戸調式は占田・課田の法と密接な関係があり,ふつうその法を含めて戸調式と呼ぶ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
「占田・課田制」のページをご覧ください。
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