司馬炎(読み)しばえん

大辞林 第三版の解説

しばえん【司馬炎】

236~290) 中国、西晋の初代皇帝(在位265~290)。諡おくりなは武帝。司馬懿しばいの孫。禅譲の形で魏の帝位を奪い、洛陽に都した。280年、呉を滅ぼして中国を統一し、占田・課田法を施行。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

司馬炎
しばえん
(236―290)

中国、西晋(せいしん)の初代皇帝(在位265~289)。諡(おくりな)は武帝。字(あざな)は安世。司馬昭の長子で司馬懿(しばい)の孫。265年、三国魏(ぎ)の元帝曹奐(そうかん)から禅譲を受けて晋(西晋)王朝を開いた。『周礼(しゅらい)』を政治理念として旧来の太尉・司徒・司空のほかに太保・太傅(たいふ)・太宰の三公を置き、六曹(りくそう)尚書や六軍の編成を行った。268年には賈充(かじゅう)、杜預(どよ)らに漢・魏の律令を参照してつくらせた晋律が完成した。また三国魏が宗室を押さえすぎて帝室を孤立させた弊にかんがみて、宗室や子弟を藩屏(はんぺい)として各地に封建し、諸王で朝官に就任していない者をすべて封国に就かせた。封国は戸邑(こゆう)の多寡により三つに分け、3軍5000人から1軍1000人までの軍隊を配属させた。即位の当初に実施されていた部曲の将や州郡の長吏に対する人質の免除は279年には部曲の督将にも広げられ、部曲は諸将や督将にも給された。また同年、揚州(ようしゅう)、荊州(けいしゅう)、巴蜀(はしょく)の三方から呉(ご)を攻め、翌280年、石頭城(南京(ナンキン))を王濬(おうしゅん)に攻略させて呉王孫晧(そんこう)を降(くだ)し、4州を併合して天下再統一を遂げた。この年に屯田制を廃して、人民に一定の土地を支給して租を徴収する占田・課田制を施行し、1戸を課税単位として調を納める戸調(こちょう)式を制定した。官人に対しては、官品の上下に応じて占田の面積と衣食客および佃客(でんきゃく)の人数を定めた。一方、天下和平を口実に刺史(しし)から民政・軍事の権限を剥奪(はくだつ)し、州郡の兵を廃止した。呉の平定ののち武帝は政治を怠り、孫晧から入れた妓妾(ぎしょう)との遊宴にふけった。外戚(がいせき)楊駿(ようしゅん)と宗室司馬亮(りょう)の争いは20年後の八王の乱の先駆となった。貴族制が定着して「上品(じょうひん)に寒門なく、下品(かひん)に勢族なし」の状況を呈し、庶民を対象とする太学と並んで、官品五品以上の貴族の子弟を収容する国子学が設立された。西北国境では、五胡(ごこ)の匈奴(きょうど)や鮮卑(せんぴ)に対する攻防が繰り返され、漢族との雑居が進んだ。[上田早苗]

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世界大百科事典内の司馬炎の言及

【武帝】より

…在位265‐290年。姓名は司馬炎。河内郡温県(河南省温県)の名族で,祖父の司馬懿(しばい),伯父の司馬師,父の司馬昭はいずれも魏の重臣。…

※「司馬炎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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