投節(読み)ナゲブシ

デジタル大辞泉 「投節」の意味・読み・例文・類語

なげ‐ぶし【投節】

《歌の末尾を投げるように歌うところから》
江戸初期の流行歌明暦万治(1655~1661)ごろに京都島原の遊里で起こり、宝永・正徳(1704~1716)ごろ衰退。梛節なぎぶし
江戸後期の流行歌で、そそり節の一種。歌詞は七・七・七・五調で、間に「な」「やん」という囃子詞はやしことばが入る。
三味線音楽の曲節の一。長唄常磐津ときわずなどで、くるわの情景を表す旋律型として用いられる。

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精選版 日本国語大辞典 「投節」の意味・読み・例文・類語

なげ‐ぶし【投節】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 江戸初期の流行歌。明暦・万治(一六五五‐六一)の頃から京都の島原の遊郭で歌い始められたもので、貞享・元祿(一六八四‐一七〇四)の頃最も流行し、京都・大坂・江戸ばかりでなく、地方の遊里などでも広く行なわれたが、宝永・正徳(一七〇四‐一六)頃を限度として次第に衰えた。
  3. そそり節の一種。清元神田祭」の「森の小烏…」の箇所など。初めの頃は、歌の終わりを「やん」と投げてうたったが、後にはいいすてるようになった。
  4. 三味線音楽の曲節の一つ。郭を表わす所に使う。長唄や清元の「吉原雀」の「馴れし郭の…」の箇所など。

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改訂新版 世界大百科事典 「投節」の意味・わかりやすい解説

投節 (なげぶし)

江戸時代の流行歌謡。三味線伴奏の流行歌謡としては,弄斎節(ろうさいぶし)に次ぐ古い成立のもの。元禄期(1688-1704)のものは墨譜,三味線譜も遺存するので,その音楽的実態がある程度類推できるし,同一旋律による同一詩型の詞章が300首以上作られているが,その詞章の収録も《松の葉》をはじめ数多い。後代には,遊里の流行歌謡の代表名称としても用いられ,また,三味線音楽各種目において,曲節名称としても用いられたが,その性格は必ずしも一定していない。

 起源は,明暦・万治(1655-61)ころ,京都の島原の遊女河内が歌い出したとも,また,〈江戸弄斎〉から出たともいわれる。江戸吉原の〈継節(つぎぶし)〉,大坂新町の〈籬節(まがきぶし)〉と並んで,三都の三名物とされた。7・7・7・5・7・7・5の音数律の7句からなる詩型が標準であるとされるが,第2句の途中と,第3句のあとに,〈ナ(ア)〉,第4句のあとに〈ヤ(ン)〉という間投辞が挿入され,第5句以下は〈返し〉として第2句以下が反復されるものである。第2句,第4句のあとには,それぞれ〈間(あい)の手〉である間奏が入る。この第4句のあとの〈ヤ(ン)〉が節尻(ふしじり)を投げるような感じであることから,〈投節〉といわれたとされる。しかし,〈梛(なぎ)の葉節〉とか〈歎き節〉とかさまざまな名義の由来が考えられている。元禄期のものは,本来のものとは曲調に変化をきたしたといわれ,〈当世投節〉とも呼ばれた。三味線は,本調子によるが,後代には二上りも用いられた。

 宝永・正徳期(1704-16)には衰退したといわれるが,名称は遺存して,たとえば文政(1818-30)ころには,〈そそり節〉のことを〈投節〉ともいっている。清元《神田祭》などの中の〈投節〉という曲節は,この〈そそり節〉のこととされている。河東節の《助六》(《助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)》),常磐津関の扉せきのと)》,長唄《吉原雀》などにおいて,廓の情趣を表すものとして用いられる曲節は,〈大津投節〉ともいわれるもので,本来のものとは異なる。

 地歌《月見》《狐火》などには,元禄期の曲節が遺存することを,町田嘉章が指摘しているが,一般に地歌では,三味線が低い音域で伴奏するのに対して歌が高い音域である曲節の一つを〈ナゲブシ〉といっている。享和(1801-04)以降文政にいたるまでのものに,〈ナゲブシ〉という曲節名称の指示をもつものが頻出するが,そのすべてを通じての共通点は必ずしも認められない。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「投節」の意味・わかりやすい解説

投節
なげぶし

日本音楽の種目および旋律名称。時代,場合によってその内容が異なる。 (1) 江戸時代初期に流行した遊里流行歌謡。明暦,万治 (1655~61) 頃,京都島原の遊女河内が創始したものともいわれ,「江戸弄斎」を変化させたものともいい,また節尻を「ヤン」と投げるように歌うことから,この名義となったともいわれる。本来,梛節 (なぎぶし) の唱歌を作りかえたものともいい,また,歎 (なげ) 節の字をあてる説もあった。大坂新町の「まがき節」,江戸吉原の「つぎ節」とともに3都の遊里のそれぞれを代表する3名物の一つとされた。ただし,元禄 (88~1704) 頃には,その旋律,テンポその他に変化を生じたことが『松の葉』に記され,文政 (1818~30) 頃には,「そそり節」を投節ともいっている。歌詞は,3・4,4・3,3・4,5調を原則とし,間に間投語の「ナ」「ヤン」が入り,合の手も入る。『大ぬさ』『姫小松』などに,その三味線の記譜が示される。 (2) 三味線音楽の各種目において,おもに遊里の情景を表わす部分に用いられる旋律名称。半太夫節,河東節の助六浄瑠璃,一中節,富本節などの浅間浄瑠璃などに多用され,そのほか,長唄の『吉原雀』,常磐津節の『関の扉』『古山姥』『戻駕』などに用いられていることが有名。「馴れし郭…」などという句につくことが多い。「大津投節」といわれるもの。ほかに「そそり節」による部分をいう場合が,清元節の『権八』『神田祭』,常磐津節,長唄の『角兵衛』などにある。歌舞伎下座では,世話物のだんまり場,悲しい別れの場などに利用されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「投節」の意味・わかりやすい解説

投節
なげぶし

江戸時代、とくに明暦(めいれき)から宝永(ほうえい)(1655~1711)ころまで、おもに遊里で好んで歌われた「はやり歌」で、小歌の一種。歌の末尾を投げ出すように歌ったことから、投節とよばれるようになったという。本来楽器の伴奏を伴わない、いわゆる素唄(すうた)であるが、三味線の伴奏を加えて、さまざまな種目の歌曲のなかに取り入れられている。粋(いき)ななかにもどこかもの悲しげな憂いを帯びたものが多く、歌舞伎(かぶき)の下座(げざ)音楽にも取り入れられ、悲しい別離の場面や幕切れなどに用いられている。

[渡辺尚子]

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百科事典マイペディア 「投節」の意味・わかりやすい解説

投節【なげぶし】

江戸初期の三味線伴奏の流行歌。最後の旋律を投げるように歌い止めたのでこの名がある。7・7・7・5の近世歌謡調。京都島原の遊郭で起こり,大坂・江戸などでも流行した。
→関連項目松の葉

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