歌舞伎舞踊の曲名。長唄。本名題《教草(おしえぐさ)吉原雀》。1768年(明和5)11月江戸市村座の顔見世狂言《男山弓勢競(おとこやまゆんぜいくらべ)》の大切(おおぎり)に演ぜられた。作詞初世桜田治助。作曲初世富士田吉治,初世杵屋作十郎。振付2世西川扇蔵。源義家の危難を,鷹の精が救うという筋にからみ,義家は男鳥売り(9世市村羽左衛門),鷹の精は女鳥売りという役柄で,放生会(ほうじようえ)の故事から吉原の廓の諸分(しよわけ)をうたったもの。現在は初演の振りは伝わらず,男女の鳥売りの踊りとして演じられる。調子がえの巧みな配列と,フシづけの妙味が無類の曲である。清元の曲は本名題《筐花手向橘(かたみのはなたむけのそでのか)》。1824年(文政7)江戸市村座初演。作詞三升屋二三治(みますやにそうじ)。作曲初世清元斎兵衛。長唄の曲をもとに作られたもので,《新吉原雀》ともいわれる。吉原雀はヨシキリの異名とされる。
執筆者:浅川 玉兎
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歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。本名題(ほんなだい)『教草(おしえぐさ)吉原雀』。初世桜田治助(じすけ)作。1768年(明和5)11月、江戸・市村座上演の八幡(はちまん)太郎義家(よしいえ)を題材にした顔見世狂言『男山弓勢競(おとこやまゆんぜいくらべ)』の大切所作事(おおぎりしょさごと)として、9世市村羽左衛門(うざえもん)と2世吾妻藤蔵(あづまとうぞう)により初演された。作曲は富士田楓江、杵屋(きねや)作十郎。男女の鳥売り二人の踊りで、放生会(ほうじょうえ)の由来から吉原雀にかこつけて廓(くるわ)のようすを描き出す。原作では、最後に男が義家、女が鷹(たか)の精霊の正体を現すという筋だったが、今日では単に廓情緒豊かな踊りとして流行している。長唄の代表作。別に清元(きよもと)『吉原雀』は1824年(文政7)2月、市村座初演で本名題『筐花手向橘(かたみのはなたむけのたちばな)』。長唄のそれをもとにして、さらにくだけた内容。「新吉原雀」ともいう。
[松井俊諭]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…この時期の長唄唄方には坂田兵四郎,初世松島庄五郎,初世吉住小三郎,三味線方には7代目杵屋喜三郎,初世杵屋新右衛門,初世杵屋弥三郎,初世杵屋忠次郎,囃子方には宇野長七などがいる。明和期(1764‐72)になると,一中節の太夫から転向した初世富士田吉次(治)によって長唄に浄瑠璃の曲節を加えた唄浄瑠璃(例《吉原雀(よしわらすずめ)》《安宅松(あたかのまつ)》)が創始されたり,大薩摩節(おおざつまぶし)との掛合(《鞭桜宇佐幣(むちざくらうさのみてぐら)》)も開始されて,長唄に新機軸を生みだした。また,この時期には9代目市村羽左衛門など立役(男役)にも舞踊の名手が現れ,舞踊は女形の独占芸という慣行が打破された結果,男性的な曲も生まれた。…
…天性の美声で好評を博し,彼の長唄を聞くために観客が集まり,〈見物を呼ぶ唄うたひ古今稀れのものなり〉といわれた。三味線方の初世杵屋(きねや)忠次郎,2世杵屋六三郎,初世杵屋作十郎,初世藤間勘左衛門らと組んで《鷺娘》《娘七種(むすめななくさ)》《吉原雀》《安宅松(あたかのまつ)》などの名曲を残す。なお,実子の藤次郎は襲名せず,富士田千蔵を名のり初世となった。…
※「吉原雀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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