改訂新版 世界大百科事典 「摂動論」の意味・わかりやすい解説
摂動論 (せつどうろん)
perturbation theory
力学をはじめとして物理学の問題で正確に解が求まるのはごく特別の場合であり,一般には近似解法を用いなければならない。近似解を求める方法として,物理的意味が明確であり普遍的に用いられるのが摂動論である。与えられた系に働く力(一般には系を記述するハミルトニアンH)を主要部分H0と残りの小さい摂動H′とに分ける。主要部分(H0)のみの場合の正確な解が求められているとき,この解をもとにして,摂動による補正を逐次近似で求める計算法が摂動論と呼ばれるものである。これが有効に用いられるためには,主要部分(これを非摂動系という)の解が正確で,かつ明りょうな形で求められていること,摂動の効果が小さいことが必要である。
古典力学における摂動論
例えば太陽系の惑星の運動を論ずる場合,惑星には太陽からの引力のほかに他の惑星からの引力が働いている。しかし三体問題は厳密に解くことができない。他の惑星からの力を無視すれば太陽とその惑星との二体問題となり,楕円軌道の運動が正確に求められる。これが出発点(第0次近似)である。惑星の運動が決まると,惑星と惑星の間に働く力も時間の関数として決まり,それを積分して楕円軌道からのずれが求まる。この補正を加えたものが第1次近似で,次に第1次近似の軌道運動から惑星間の引力,それによる補正を求めて第2次近似が得られる。これを繰り返すことにより逐次近似解を得る。惑星間の引力を摂動とみなしうるのは,惑星と太陽との質量比が,最大の木星でも1/1000以下だからである。他の例として,対称なこまの運動は正確に解くことができるので,わずかに非対称なこまの運動に対しても,非対称部分を摂動として同様の計算法が適用できる。
量子力学における摂動論
系の力学を与えるハミルトニアンHを主要部分H0と摂動H′とに分け(H=H0+H′),H0の解をもとにしてH′の効果を逐次近似でとり入れることは古典力学と変わらない。量子力学の問題には,系のエネルギー準位とその固有状態を求める定常解の問題と,ある状態が時間とともにどのように変化していくかを調べる非定常解の問題があり,摂動論もそれに従って大別される。
定常解に対する摂動論の目的は,摂動によるエネルギー準位と状態(波動関数)のずれを求めることである。まず非摂動系H0の固有値問題は正確に解けるとし,エネルギー固有値をE0,固有状態をφ0とする。これが第0次近似である。シュレーディンガー方程式から,摂動による第1次の補正E1,φ1が求められるが,E1は,φ0状態でのH′の平均値である。第1次近似E0+E1,φ0+φ1から第2次の補正が得られ,一般に逐次近似を進める公式を書くことができる。こうして近似解E0+E1+……,φ0+φ1+……が求まる。例えば,惑星運動と同様に,ヘリウム原子の2個の電子間のクーロンポテンシャルを摂動として,エネルギー準位の近似値を求めると,第1次近似で-75eVが得られる。これに対して実験値は-79eVである。この場合,摂動とした電子間のポテンシャルe2/r12は,原子核と電子の間の-2e2/rに比較して著しく小さいとはいえない(eは電子の電荷,r12は電子と電子の距離,rは電子と原子核の距離)。より正確な値を求めるには別の手段が必要であり,原子に磁場が加わったとき,系の磁気モーメントとの相互作用を摂動としてエネルギーのずれ(ゼーマン効果)を計算すること,電場が加わったときのエネルギーのずれ(シュタルク効果)などきわめて広い範囲に摂動計算が用いられる。
非定常解への応用は,非摂動系の状態φ0から出発し,摂動H′により時間がたつにつれて他の状態へ移っていくようすを調べるため,時間に関係するシュレーディンガー方程式を逐次近似で解く。この際,初期条件の与え方として次の二通りがある。第1はある瞬間(t=0)に状態がφ0であり,これから摂動による変化が始まるとするものである。第2は無限の過去において状態がφ0であり,しだいに摂動が働いて変化が起こり,時間が十分たったときどのような状態に落ち着くかを見る。例えば原子がある瞬間に励起され,これが電磁場との相互作用という摂動により光を放出するのは第1の場合であり,遠方より飛んできた粒子と粒子が衝突し,粒子間の力を摂動として散乱するのは第2の場合の例である。終状態として可能なものが無限に多く存在するときは,いずれの初期条件の場合でも状態の遷移量は時間tに比例し,毎秒どれだけの割合で遷移が起こるかを計算することができる。これから励起原子が光を放出する割合,粒子衝突の断面積などが計算できる。場の理論では摂動論が,相対論的な形式としてはほとんど唯一の計算法として用いられる。自由に飛ぶ素粒子の集団が非摂動系であり,相互作用が摂動である。これから非定常摂動論で粒子衝突の過程などが計算される。電子と電磁場の相互作用を扱う量子電磁力学では高次の近似計算がなされており,実験との一致はきわめてよい。
摂動論は,量を摂動の強さを表すパラメーターλでべき展開することである。これが可能であるためには,その量がλの関数としてλ=0で正則であり,λの値がべき級数の収束半径内にあることが必要である。しかしλ=0が正則点でないときでもλによるべき展開が用いられることがある。例えばシュタルク効果では,加えた電場Eがべき展開のパラメーターであるが,エネルギーなどに対しE=0は正則点でなく分岐点である。しかし,展開の各項は計算することはでき,得られたEについてのべき級数は収束はしないが,初めの数項の和はよい近似を与えると考えられる(事実実験との一致はよい)。量子電磁力学では電子の電荷eが展開のパラメーターであるが,e2=0は正則点ではないと考えられている。しかし,eによるべき展開は漸近級数として意味をもち,例えば電子の磁気モーメントをe8の項まで計算した近似値は,実験値と9桁までの一致を示している。
執筆者:宮沢 弘成
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報