日本大百科全書(ニッポニカ) 「散らし書き」の意味・わかりやすい解説
散らし書き
ちらしがき
和歌や仮名消息などの書法の一種。紙面構成の一法として、文字を散らして布置するわが国独自の書き方。散らし書きの手紙の古い遺品としては、966年(康保3)ごろ書写の「虚空蔵菩薩念誦次第(こくうぞうぼさつねんじゅしだい)紙背仮名消息」(滋賀・石山寺)、藤原公任(きんとう)自筆『北山抄』紙背の「仮名消息」(京都国立博物館)や、11世紀初頭と推定される「三宝感応要録(さんぼうかんのうようろく)紙背仮名消息」(京都・鳩居堂(きゅうきょどう))があげられる。各行に高低の変化をつけ、流暢(りゅうちょう)に続く連綿はきわめて美しい。『源氏物語』には「乱れ書き」とよばれており、行の上下をそろえた手紙よりも乱れ書きのものに「今めかしうをかしげ」な、つまり当世風の新しい魅力を感じていたようである。さらに、室町以降は「女房奉書(にょうぼうほうしょ)」として定着した。これは天皇側近の女官勾当内侍(こうとうのないし)が勅旨を受けて出した仮名書きの文書で、かならず散らし書きで書かれていた。この女房奉書のスタイルを踏襲して、後の公卿(くぎょう)や武家の女性たちは消息をしたためた。
一方、和歌の散らし書きの古例の代表としては、『寸松庵(すんしょうあん)色紙』『継(つぎ)色紙』『升(ます)色紙』や『元永(げんえい)本古今集』などがある。墨の濃淡・潤渇、線の細太、あるいは文字の連綿、余白を最大限に巧みに生かしたみごとな紙面構成のなかに筆者の美意識を盛り込んでいる。しかし、14世紀なかばの『麒麟抄(きりんしょう)』に、「書歌事」として「立石(たていし)」「藤花(ふじのはな)」「木立(こだち)」の名称をあげ、字配りや文字の位置まで細かく説明しているように、鎌倉時代には流儀の枠にとらわれ、しだいに定型化していった。江戸初期、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)、近衛信尹(このえのぶただ)、松花堂(しょうかどう)昭乗の「寛永(かんえい)の三筆」によりふたたび新しい散らし書きの美を生むに至ったが、現代の仮名書壇は、古筆に依拠する和歌の散らし書きの作品が大半を占めている。
[尾下多美子]