改訂新版 世界大百科事典 「料理書」の意味・わかりやすい解説
料理書 (りょうりしょ)
料理に関することを書いた本。料理本とも呼ぶ。料理をつくる際の参考書として,調理技術とそれに用いる材料の知識や選択のしかたなどの記述を基本とするが,実際はより多岐にわたる。すなわち日本でも古くは陰陽五行説に基づく材料の選択や組合せが調理の最重要課題であり,本草学による知識も不可欠のものであった。中世末には調理や食べ方の作法,心得がきわめて重視され,近世には味覚,視覚の両面からする材料の取合せが大きな比重をもち,さらにはさまざまな趣向を楽しむといった遊戯的色彩をもつものも現れた。たえず凶作,飢饉にさらされていた状況の下で,救荒食の材料と調理を説いたものもあり,本草書や農書の中にも料理書としての性格をもつものが少なくない。狭義の料理書ともいうべき調理技術書は,最近まで学問的にはあまり問題にされなかった。しかし,〈何を〉だけではなく,〈いかに〉食べてきたかを可能なかぎり明らかにすることなしに,人間の最も基本的な営みである食生活の歴史は実態あるものとはならない。そうした反省から近年料理書に対する関心が高まっており,今後関連する諸学との協同によって,生活文化史の空白を埋める作業の進展が期待されている。
中国
古来,食をたいせつにした中国では,《論語》《礼記》《書経》などに食物関係の記事が多く出ており,古代の食物や料理を知る手がかりとなる。料理書らしいものとしては《崔氏食経》《食饌次第法》《四時御食経》などの名が《隋書》経籍志に出ているが,完本はまったく伝わっていない。しかし,内容の一部が《斉民要術》と,平安時代の日本の医書《医心方》に引用されているので知ることができる。《斉民要術》は農書であるが,食物関係の記事が約40%あり,中国食物研究者必見の古典である。唐代は文化的には栄えた時代であるが,目だつような料理書はない。《謝楓食経》《韋巨源食譜》などはあるが,記述が簡単で料理書としては参考にならない。宋・元代になると料理関係書は急に増えてくる。《中饋録(ちゆうきろく)》(北宋)の著者は浦江の呉氏としかわからないが,魚醬(ぎよしよう),煮魚,各種漬物,麵(めん)類など76種が出ており,北宋の料理書として最も参考になる。《山家清供(さんかせいきよう)》は,南宋末の隠士林洪の著で,104項あり飯麵肉魚もあるが,風流人好みのしゃれた野菜料理が多い。《居家必用事類全集(きよかひつようじるいぜんしゆう)》は著者も出版年もわかっていないが,宋代にまとめたものを元代に出版したものと推論されている。家庭百科全書ともいうべきもので,食物関係記事は一部にすぎないが,記述は具体的で《斉民要術》とともに研究者必見の書であり,日本,朝鮮の食物に与えた影響はひじょうに大きく,江戸時代に和刻本がある。《飲膳正要(いんぜんせいよう)》(1330)は,元の文宗に飲膳大医として仕えていた忽思慧が進奉した食養生書で,西域,モンゴル臭の強い名詞があり難解であるが,挿絵の多い便利な本である。中国唯一の西域,モンゴル系の食物関係書でもある。明代には食物関係書が急に多数出版されるようになり,めぼしいものに《宋氏尊生》(16世紀初期),《多能鄙事》(1550,劉基撰),《易牙遺意》(16世紀末ころ,韓奕編),《遵生八牋(じゆんせいはつせん)》(1591,高濂著)などがあり,前代のものに比し記述はより具体的である。清代では《随園食単》(1792,袁枚著)が出色で,〈料理論語〉と通称されるほどの豊かな内容をもつが,教訓的な記述が多いのも一つの特色である。《粥譜(しゆくふ)》(1581,黄雲鵠)は中国唯一の粥の専門書であり,238種の粥と雑炊が採録されている。また,1889年にはOriental Cook Bookという中英文対照本が上海で出版されており,資料の少ない清末の料理を知るうえで便利である。
執筆者:田中 静一
日本
日本料理は中世後期にほぼ形が整い,近世において高度な発達を見るが,これと対応関係にある料理書についていえば,近世以前,近世前期,近世後期に分けて考えられる。
現存する最も古い料理書は,食膳や食事作法の有職故実について記した《厨事類記(ちゆうじるいき)》もしくは《世俗立要集(せぞくりつようしゆう)》で,ともに鎌倉末期の成立とみられるが,全貌を知りえない。室町期に入ると,将軍などの御成の際に供される本膳形式の料理との関連で,《四条流庖丁書》《武家調味故実》《庖丁聞書(ききがき)》のほか,《大草家料理書》《大草殿より相伝之聞書》といった料理技術を記した料理書が,四条流,大草流,進士流といった庖丁流派の成立に伴って出現する。これらは故実書,伝書として伝えられ,いずれも写本であったが,近世に入ると料理書が印刷に付せられ,1643年(寛永20)には《料理物語》が刊行されて新たな料理書の歴史が始まる。江戸初期には,《料理切形秘伝抄》のような庖丁流派の料理書も刊行されるが,流派にとらわれない料理法を記した《料理物語》が,正保(1644-48),慶安(1648-52),寛文(1661-73)と繰り返して版を重ねる一方で,延宝(1673-81)から元禄(1688-1704)に至ると,《古今料理集》《合類日用料理抄》など体系性を備えた料理書が成立し,料理法のみならず材料の吟味や取合せの是非までもが語られるようになる。またこの時期には,食物の効能を記した本草書の系譜に属する《日用食用》《本朝食鑑》などが刊行され,茶の湯の影響をうけた《茶湯献立指南》といった料理書も現れた。茶の湯に供される懐石料理は日本料理の展開に大きく作用し,《料理網目調味抄(りようりもうもくちようみしよう)》にもその影響を見ることができる。
江戸後期に入ると刊行点数も急増するが,それまでの体系性を有した大部な料理書とは異なり,コンパクトで楽しむ要素の強いものが出現する。《歌仙の組糸(くみいと)》《料理山海郷(さんかいきよう)》《献立筌(こんだてせん)》などがそれで,料理名や献立の決定などに“遊び”が見られる。さらに天明(1781-89)から寛政(1789-1801)期には,1種の材料に対して100の料理法を記し,素材に関する和漢の文献を集めて知的興味を満足させるような《豆腐百珍》《甘藷百珍(いもひやくちん)》や鯛,ユズ,大根,卵などの料理秘密箱シリーズの百珍物が盛行し,中国料理の影響をうけた卓子料理の《八僊卓燕式記(はつせんたくえんしきき)》《卓袱会席趣向帳(しつぽくかいせきしゆこうちよう)》なども刊行された。一方,《都鄙安逸伝》など救荒対策のための糅物(かてもの)の書も作られ,それとは対照的に,江戸の最高級料亭のぜいを尽くした献立を中心記事とする八百善主人の《料理通》が,高名な文人,画家の序文,口絵に飾られて刊行された。江戸時代には刊年の明らかなものだけで,200点に近い料理書が刊行されているが,書名を変えただけの重版も多い。
幕末から明治にかけて西洋料理が移入されると,皇室の公式な料理も日本料理からフランス料理に変わるが,こうした状況のなかで日本料理の集大成がはかられ,1898年には,それまでの多くの料理書を基礎にして《日本料理法大全》が刊行されている。
→日本料理
執筆者:原田 信男
ヨーロッパ
料理書の存在理由は,日常的な食生活になんらかの変化をつけたいという願望が食べ手の側にあり,その意をくんで料理をする側が材料の組合せの変化,味のつけ方にくふうをこらすヒントとして利用することにある。したがって,社会が安定し,生活に十分な余裕が生じた時代にのみ存在しうるものである。料理書は料理の専門職を対象とするものと家庭の料理を扱う人に対するものとに分けることもできるが,料理をつくる人の経験,技量などを考えれば,これを明確に区別することはできない。歴史的に見れば,フランスにおいて前者がより多く見られ,イギリスにおいて後者が伝統的により多いという指摘ができる程度であろう。内容的には,(1)辞書・事典形式のものも含め,料理,デザートの全分野を一冊に収めたもの,(2)いわゆるコース別あるいは材料別に独立した一書としたもの,(3)料理と料理の組合せを示唆するメニュー構成の例示を集めたもの,(4)各地方の料理を収めたもの(フランスで19世紀末から多く見られ,これはアメリカ合衆国における各国料理の本にもつながる),(5)過去の料理を再現して現代の目から見ての新しさを求めるものなどがある。1970年代以降のフランスでとくに顕著な傾向として,著名料理長の個人作品集的な料理書が文芸図書の出版元から数多く発刊されていることがある。
料理書をヒント集とする観点に立つと,メソポタミア出土の粘土板に刻まれた楔形文字による食料の在庫一覧のようなものを料理書の始まりということもできようし,古代ギリシア・ローマにおいてすでに料理書と目されるものがあったことは諸種の断片よりうかがわれるが,現存する料理書の始祖は古代ローマ時代の紀元1世紀の初めに成ったとされる,ガウィウス・アピキウスの《料理について》とするのが定説である。
中世以降の料理書を,フランスを中心として見ていけば,まず,フランス王に仕えたタイユバンの《食物譜》(1390?成立)があり,匿名で書かれた《パリの家政》(1393?成立。その一部が料理に当てられている)がある。《食物譜》はフランスで初めて印刷(1490?)に付された料理の専門書とされ,15~16世紀を通じて流布した。アピキウスとも共通する,かなり素朴な料理が収められている。この間,ヨーロッパ文明の先進国であったイタリアで数多くの名著(プラティナとマルティーノの《正しい欲望と体力》(1474)やバルトロメオ・スカッピの《オペラ(作品)》(1570)など)が著され,その多くがフランスにも紹介されている。イタリア料理の流入により,フランス料理はより洗練され,より繊細なものとなるが,それでもルイ14世時代はまだ豪華さと量で勝負といった傾向がみられた。この時代の料理の集大成にフランソア・ピエール・ド・ラ・バレンヌの《フランスの料理人》(1651)がある。
料理が芸術,科学の一分野とまでもてはやされた18世紀前半には料理書出版のラッシュがみられ,5巻本(バンサン・ラ・シャペル《現代の料理人》1735),4巻本(ムノン《宮廷の夜食》1755),3巻本(マラン《料理神コモスの贈物》1742,初版(1739)は1巻本)など豪華なものが現れ,また時代を反映してマッシャロの《王室およびブルジョア家庭の料理人》(1691,1712新版)やムノン《ブルジョア家庭の女料理人》(1746)など,書名にブルジョアをうたうものも登場した。フランス革命後レストランが隆盛を誇ることとなるが,この領域で最初の本格的レストランを経営したアントアーヌ・ボービリエが著した《料理人の技術》(1814)が19世紀初めを飾る。1826年にはブリヤ・サバランの《味覚の生理学》が刊行された。これは一種の人生哲学を説いたエッセーであるが,美食家の経典ともいうべき反響を呼び,日本でも《美味礼讃》の名で翻訳されている。またM.A.カレーム(1784-1833)が出て,その天賦の才を発揮し,数多くの料理書を精力的に世に問い,フランス料理の基礎固めをやってのける。著書5種10巻(主著は《19世紀のフランス料理技術》5巻)を数える。またフランスで初めて正確な分量表示をしたとされるジュール・グッフェの《料理の本》(1867)や20世紀への橋渡しの役割を果たしたユルバン・デュボア(1818-1901)の数多くの著作がある。
20世紀初頭では何よりもオーギュスト・エスコフィエ(1846-1935)の《料理の手引き》(1902)をあげなければならない。この1巻の本は現在に至るまでフランス料理のバイブルとして料理人の間で利用されてきている。またプロスペル・モンターニェ(初版時の共著者に敬意を表し,プロスペル・サルの名も冠されてはいる)の《料理大全》(1929)や記念碑的な《ラルース料理百科事典》(1938),その著書でフランス・アカデミーの文学賞まで獲得したエドゥアール・ニニョンの三部作(《美食家七日物語》(1919),《食卓の悦び》(1926),《フランス料理讃歌》(1933))も現代のフランス料理に大きな影響を与えている。
執筆者:辻 静雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報