新善光寺跡(読み)しんぜんこうじあと

日本歴史地名大系 「新善光寺跡」の解説

新善光寺跡
しんぜんこうじあと

光明こうみよう寺の北、長勝ちようしよう寺背後のべんやつにあった寺で、浄土教を中心とした四宗兼学を標榜したらしい。善光寺ともいう。創建年次は未詳本願は北条泰時。善光寺信仰が盛んであった鎌倉時代に、とくに鎌倉地方では源頼朝をはじめ北条泰時・時頼ら北条氏の信仰が厚く、寺領などの寄進が行われた。「吾妻鏡」寛元四年(一二四六)三月一四日条によると、この時の善光寺供養の際は、大御堂の良信が導師、北条朝時の子息らが遺言によって大檀越となっている。この影響のもとに当寺が開創されたのであろう。建治三年(一二七七)一一月二〇日の日蓮書状(県史一)にも「なこへの一門の善(光)寺・長楽寺大仏殿立させ給」とみえる。


新善光寺跡
しんぜんこうじあと

五条橋西詰の南側、京都市下京区御影堂みえいどう町にあった寺。第二次世界大戦中の五条通拡張により、滋賀県長浜市に移転した。時宗に属し、本尊は安阿弥快慶作という阿弥陀如来。脇壇には一遍自作という立像と王阿上人立像を安置していた。縁起(山城名勝志)によれば、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(檀林皇后)造営と伝え、信州善光寺の本尊を模した像、および空海自作像を安置したという。一般には御影堂の名でよばれたらしいが、再興の王阿が時宗に帰依、一遍を請じて中興開山とし、念仏三昧の道場としたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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