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1976年(昭和51)6月、三木内閣のもとでロッキード事件が明るみになり、自由民主党内の派閥抗争が激化していた時期に、河野(こうの)洋平、田川誠一、山口敏夫(としお)、西岡武夫(たけお)ら6名の国会議員が「自民党に絶望」して「新しい保守」を目ざし結成した都市型保守政党。同年末の総選挙では「きれいな保守」を掲げてブームをよび、一躍18議席を獲得したが、その後は低迷し、社会民主連合と院内統一会派をつくったり、83年第二次中曽根(なかそね)内閣から自民党と統一会派をつくり閣僚1名を送り込んだりしたが、結党時に掲げた「保守二党制」の目標にはほど遠く、自民党への復党者が絶えなかった。(1)政治倫理確立、(2)新自由主義、(3)民意伸張、を綱領に掲げ、若手財界人や都市管理者層を支持基盤とし、都市サラリーマン層や商店主などにも支持を広げようとしたが、86年7月の衆参同日選挙でも敗退、自民党の超安定多数の前に統一会派としての機能も失われ、同年8月、解党、自民党への復党を決定した。
[加藤哲郎]
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自由民主党からの離党グループにより結成された保守新党。1976年(昭和51)のロッキード事件発覚を契機に,自民党の河野洋平ら6議員が6月に結党。同年12月の総選挙で大都市の浮動票を集め,17人を当選させブームとなったが,以後は自民党と中道政党の間で動揺を続け,86年8月に解党して自民党に復帰。この間,83年以降自民党と連立して中曾根康弘内閣を支えた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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