中曾根康弘内閣(読み)なかそねやすひろないかく

百科事典マイペディア 「中曾根康弘内閣」の意味・わかりやすい解説

中曾根康弘内閣【なかそねやすひろないかく】

(1)第1次。1982年11月27日〜1983年12月27日。自由民主党単独内閣中曾根康弘田中角栄元首相の後押しで政権の座についたため,〈田中曾根内閣〉と評された。1983年1月中曾根首相が訪韓,全斗煥大統領と会談して教科書問題に決着をつけ,〈日韓新時代〉を表明,同月の施政方針演説で〈戦後史の転換点〉を強調。ロッキード事件の裁判で田中元首相に実刑判決が出た12月の総選挙で自民党大敗。(2)第2次。1983年12月27日〜1986年7月22日。総選挙に大敗したため,第2次中曾根内閣は新自由クラブ連立。1984年1月中曾根首相は戦後首相として初めて靖国神社に新春参拝,党大会で〈戦後政治の総決算〉を表明。1985年7月中曾根首相は党のセミナーで,防衛費のGNP国民総生産)1%枠撤廃の意見を表明。8月15日首相以下全閣僚が靖国神社に公式参拝,中国要人が相次いで懸念を表明。1986年4月首相の私的諮問機関〈経構研〉が〈前川レポート〉を提出。5月民活法制定。東京サミット開催。7月衆参同日選挙で自民党大勝。(3)第3次。1986年7月22日〜1987年11月6日。自民党単独内閣。8月新自由クラブ解党(1名を除き自民党に復党)。9月藤尾文相が雑誌に韓国併合を合理化する意見を発表,韓国などの抗議により罷免される。同月自民党大会で中曾根総裁の任期延長(1年)が決まる。同月中曾根首相は〈アメリカには黒人などがいて知識水準が低い〉と発言,批判をうけ陳謝。12月閣議で防衛費のGNP1%枠撤廃を決定。1987年1月売上税導入に対し反対運動が広がる。4月国鉄が分割民営化され,JR6社等が発足。同月売上税案を撤回。7月自民党竹下派が〈経世会〉を結成(国会議員113名の自民党最大派閥となる)。10月中曾根首相が党の次期総裁に竹下登指名,党大会で正式決定。11月中曾根内閣総辞職。
→関連項目森喜朗連立政権

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「中曾根康弘内閣」の解説

中曾根康弘内閣
なかそねやすひろないかく

自民党の中曾根康弘を首班とする内閣。3次約5年間続いた。

1第1次(1982.11.27~83.12.27)。1983年(昭和58)1月,韓国を訪問し,懸案となっていた40億ドルの対韓経済協力問題を解決,その直後に渡米するなど機敏な外交を展開した。

2第2次(1983.12.27~86.7.22)。新自由クラブと連立をくみ,1983年(昭和58)12月成立。戦後政治の総決算を唱え,防衛費の対GNP比1%枠の撤廃,中期防衛力整備計画の策定などを行い,臨時行政調査会の最終答申にもとづき電電・専売など公社の民営化を実施した。

3第3次(1986.7.22~87.11.6)。1986年(昭和61)7月,衆参同日選挙で大勝し,余勢をかって売上税(消費税)法案を提出したが,廃案となる。しかし国鉄の分割・民営化は行われた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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