日本寺(読み)にほんじ

精選版 日本国語大辞典 「日本寺」の意味・読み・例文・類語

にほん‐じ【日本寺】

  1. 千葉県安房郡鋸南町にある曹洞宗の寺。はじめは法相宗、のちに天台宗。山号は乾坤山。神亀二年(七二五聖武天皇勅願により行基開創。養和元年(一一八一源頼朝、貞和元年(一三四五足利尊氏再建。正保四年(一六四七)現宗に改めた。本尊は総高三一メートルの石造大仏。

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日本歴史地名大系 「日本寺」の解説

日本寺
にほんじ

[現在地名]鋸南町元名

のこぎり山南中腹に広い寺域を有する曹洞宗寺院で、境内一〇万坪は後述の羅漢石像群とともに県指定名勝。山号は乾坤山。初め薬師山、のち大福山、また唐竺山と変わり、乾坤山と号したのは嘉永年間(一八四八―五四)とされる。本尊は伝行基作薬師如来、ほかに観音堂に伝慈覚作十一面観音、大黒祠に伝空海作大黒天を安置。神亀二年(七二五)聖武天皇の勅願で行基が開いたと伝え、関東最古の勅願所という。当初法相宗に属し、七堂一二院一〇〇坊を擁したがのち衰退、養和年間(一一八一―八二)に源頼朝が再興したといわれ、法堂の地蔵尊は頼朝祈願の伝承をもつ。


日本寺
にちほんじ

[現在地名]多古町南中

大門脇だいもんわきにあり、県道多古―八日市場線沿いの北側に参道が二〇〇メートルほど続いた先に本堂がある。正東山と号し、日蓮宗。本尊釈迦如来。中村なかむら檀林と称し、一致派関東八檀林の一。寺伝によると、中山法華経寺初代貫首日常が永仁三年(一二九五)に隠居してこの地に草庵を結んだのを起りとする。また中山法華経寺に多大な寄進をした外護者の千葉胤貞は、子日胤を開山として小寺を当寺脇の西谷にしさく建立東福とうふく寺と号した。同寺の山号高祐山は法華経寺三代貫首日祐が師である日高を慕って付けたものであるという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本寺」の意味・わかりやすい解説

日本寺
にほんじ

千葉県安房(あわ)郡鋸南(きょなん)町の鋸(のこぎり)山の中腹にある曹洞(そうとう)宗の寺。山号は乾坤(けんこん)山。聖武(しょうむ)天皇の勅願によって行基(ぎょうき)が開創。本尊の薬師瑠璃光如来(るりこうにょらい)は総高31メートルの石造大仏。初めは法相(ほっそう)宗、ついで天台宗に属した。1181年(養和1)源頼朝(よりとも)が再建、1331年(元弘1・元徳3)兵火で焼かれ、1345年(興国6・貞和1)足利尊氏(あしかがたかうじ)が堂宇を建立した。戦国時代に荒廃したが、1774年(安永3)愚伝(ぐでん)が伽藍(がらん)を再建した。境内には、愚伝の発願で大野甚五郎(じんごろう)らが刻んだという1553体の石仏(東海千五百羅漢)が並ぶ。寺宝の梵鐘(ぼんしょう)は国重要文化財

菅沼 晃]

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