小説家。明治37年5月9日、大阪市に生まれる。父武田左二郎、母すみゑの長男。旧制三高を経て東京帝国大学仏文科に進む。その間同人雑誌『真昼』を創刊。藤沢桓夫(たけお)らの『辻馬車(つじばしゃ)』に参加する。このころから帝大セツルメントの仕事をするなど組合運動にも加わり、その体験を生かして『暴力』(1929)などプロレタリア文学作品を書く。しかし一方その政治主義的偏向から脱出しようとして『日本三文オペラ』(1932)のような庶民的な視点で当時の風俗を描いたいわゆる「市井事もの」の筆をとった。1933年(昭和8)には川端康成(かわばたやすなり)、小林秀雄(ひでお)らと『文学界』創刊に参加。『銀座八丁』(1934)、『下界の眺め』(1935~36)など新聞連載という形で当時の風俗を描き出している。1936年には『人民文庫』を創刊し、「日本浪曼派」の詩精神に対抗して散文精神を主張。その雑誌に、傾倒する井原西鶴(さいかく)について連載小説の形で書く。太平洋戦争中には徴用作家としてジャワへ行ったが、このころにめぼしい作品はない。彼の小説は志賀直哉(なおや)、横光利一(よこみつりいち)、プロレタリア文学、西鶴などの影響を受けたが、庶民的視点によって庶民を描くという点では終始変わることがなかった。昭和21年3月31日、肝硬変で死亡。
[遠矢龍之介]
『『武田麟太郎全集』全三巻(1977・新潮社)』▽『大谷晃一著『評伝武田麟太郎』(1982・河出書房新社)』
小説家。大阪市生れ。1926年(昭和1)三高卒業,東京帝大文学部仏文科に入るがほとんど教室に出ず,中学以来の友人藤沢桓夫らの拠る《辻馬車》の同人に加わり,また本所柳島の帝大セツルメントで活動したり,労働運動にも共鳴するようになった。27年大学を除籍される一方でプロレタリア芸術連盟に参じた。29年《文芸春秋》に載せて発禁を招いた《暴力》などで職業作家として認められ,《反逆の呂律》(1930)ほかを刊行。さらにそれらの新感覚派的手法に左翼思想を盛りこんだ観念的傾向を抜け出し,西鶴の方法に示唆を得て《日本三文オペラ》(1932),《銀座八丁》(1934),《一の酉》(1935)などいわゆる〈市井事もの〉に庶民の生活感情を写し出した。当時の左翼運動への弾圧に抗する手法の発見であったとも言える。36年にはファシズムの嵐のなかで《人民文庫》を創刊,〈散文精神〉を唱道して時潮にあらがった。敗戦後新しい活動に入ろうとする矢先,病を得て急死。
執筆者:高橋 春雄
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昭和期の小説家
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