武田麟太郎(読み)タケダリンタロウ

デジタル大辞泉 「武田麟太郎」の意味・読み・例文・類語

たけだ‐りんたろう〔‐リンタラウ〕【武田麟太郎】

[1904~1946]小説家。大阪の生まれ。新感覚派的手法による小説「暴力」でプロレタリア文学の作家として出発、のち市井しせいの庶民の生態を描いた「日本三文オペラ」などを発表。雑誌「人民文庫」を主宰。ほかに「銀座八丁」「一のとり」「井原西鶴」など。

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精選版 日本国語大辞典 「武田麟太郎」の意味・読み・例文・類語

たけだ‐りんたろう【武田麟太郎】

  1. 小説家。大阪出身。昭和初期、小説「暴力」を発表し、プロレタリア作家としての地位を築いた。西鶴に傾倒し、のち市井に題材をとった作品を次々と発表。「人民文庫」をおこし主宰。著作「日本三文オペラ」「銀座八丁」など。明治三七~昭和二一年(一九〇四‐四六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「武田麟太郎」の意味・わかりやすい解説

武田麟太郎
たけだりんたろう
(1904―1946)

小説家。明治37年5月9日、大阪市に生まれる。父武田左二郎、母すみゑの長男。旧制三高を経て東京帝国大学仏文科に進む。その間同人雑誌『真昼』を創刊藤沢桓夫(たけお)らの『辻馬車(つじばしゃ)』に参加する。このころから帝大セツルメントの仕事をするなど組合運動にも加わり、その体験を生かして『暴力』(1929)などプロレタリア文学作品を書く。しかし一方その政治主義的偏向から脱出しようとして『日本三文オペラ』(1932)のような庶民的な視点で当時の風俗を描いたいわゆる「市井事もの」の筆をとった。1933年(昭和8)には川端康成(かわばたやすなり)、小林秀雄(ひでお)らと『文学界』創刊に参加。『銀座八丁』(1934)、『下界の眺め』(1935~36)など新聞連載という形で当時の風俗を描き出している。1936年には『人民文庫』を創刊し、「日本浪曼派」の詩精神に対抗して散文精神を主張。その雑誌に、傾倒する井原西鶴(さいかく)について連載小説の形で書く。太平洋戦争中には徴用作家としてジャワへ行ったが、このころにめぼしい作品はない。彼の小説は志賀直哉(なおや)、横光利一(よこみつりいち)、プロレタリア文学、西鶴などの影響を受けたが、庶民的視点によって庶民を描くという点では終始変わることがなかった。昭和21年3月31日、肝硬変死亡

[遠矢龍之介]

『『武田麟太郎全集』全三巻(1977・新潮社)』『大谷晃一著『評伝武田麟太郎』(1982・河出書房新社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「武田麟太郎」の意味・わかりやすい解説

武田麟太郎 (たけだりんたろう)
生没年:1904-46(明治37-昭和21)

小説家。大阪市生れ。1926年(昭和1)三高卒業,東京帝大文学部仏文科に入るがほとんど教室に出ず,中学以来の友人藤沢桓夫らの拠る《辻馬車》の同人に加わり,また本所柳島の帝大セツルメントで活動したり,労働運動にも共鳴するようになった。27年大学を除籍される一方でプロレタリア芸術連盟に参じた。29年《文芸春秋》に載せて発禁を招いた《暴力》などで職業作家として認められ,《反逆呂律》(1930)ほかを刊行。さらにそれらの新感覚派的手法に左翼思想を盛りこんだ観念的傾向を抜け出し,西鶴の方法に示唆を得て《日本三文オペラ》(1932),《銀座八丁》(1934),《一の酉》(1935)などいわゆる〈市井事もの〉に庶民の生活感情を写し出した。当時の左翼運動への弾圧に抗する手法の発見であったとも言える。36年にはファシズムの嵐のなかで《人民文庫》を創刊,〈散文精神〉を唱道して時潮にあらがった。敗戦後新しい活動に入ろうとする矢先,病を得て急死
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「武田麟太郎」の解説

武田 麟太郎
タケダ リンタロウ

昭和期の小説家



生年
明治37(1904)年5月9日

没年
昭和21(1946)年3月31日

出生地
大阪府大阪市南区日本橋東

学歴〔年〕
東京帝大文学部仏文科中退

経歴
東京帝大へ入学した大正15年、同人雑誌「辻馬車」に参加し、中退した昭和2年から編集責任者となり、のち「大学左派」「十月」の同人となる。3年頃から帝大セツルメントで働らき、検挙されたこともある。5年左翼イデオロギーにもとづく風俗小説「暴力」「反逆の呂律」を刊行。西鶴の影響を強く受け、7年「日本三文オペラ」を発表し、以後市井事ものの作家として活躍し、9年には名作「銀座八丁」を発表した。11年時局的な動きに対抗し「人民文庫」を創刊したが、時局の流れに勝てず、13年廃刊となった。その他の代表作に「釜ケ崎」「勘定」「一の酉」「下界の眺め」などがあり、「武田麟太郎全集」(全16巻 六興出版社)が刊行されている。

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百科事典マイペディア 「武田麟太郎」の意味・わかりやすい解説

武田麟太郎【たけだりんたろう】

小説家。大阪生れ。東大仏文中退。1929年発表の《暴力》でプロレタリア作家として認められた。西鶴から示唆をえて,市井事物といわれる《日本三文オペラ》《一の酉》《銀座八丁》等を書き,日本浪曼派の詩精神に反発し,1936年,散文精神を唱えて文芸雑誌《人民文庫》を創刊した。
→関連項目織田作之助風俗小説文学界

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武田麟太郎」の意味・わかりやすい解説

武田麟太郎
たけだりんたろう

[生]1904.5.15. 大阪
[没]1946.3.31. 藤沢
小説家。第三高等学校を経て 1926年東京大学仏文科に入学したが,まもなく中退。『暴力』 (1929) によって一躍プロレタリア作家としての地位を確立。転向後は井原西鶴の写実主義の手法を取入れて『日本三文オペラ』 (32) ,『釜ヶ崎』 (33) ,『銀座八丁』 (34) ,『一の酉』 (35) などを書き,川端康成,小林秀雄,林房雄らと『文学界』を発刊 (33) する一方,独力で『人民文庫』を創刊 (36) 。ほかに『井原西鶴』 (36~37,未完) ,『大凶の籤 (くじ) 』 (39) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田麟太郎」の解説

武田麟太郎 たけだ-りんたろう

1904-1946 昭和時代前期の小説家。
明治37年5月9日生まれ。帝大セツルメントに参加して労働組合運動にかかわる。反戦小説「暴力」などでプロレタリア作家として出発。のち井原西鶴に傾倒し,庶民の生活感情をえがく「日本三文オペラ」など「市井事もの」とよばれる風俗小説を発表。昭和11年「人民文庫」を創刊。昭和21年3月31日死去。43歳。大阪出身。東京帝大中退。作品はほかに「銀座八丁」「一(いち)の酉(とり)」など。
【格言など】作家は四十過ぎから(「年齢と小説」)

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367日誕生日大事典 「武田麟太郎」の解説

武田 麟太郎 (たけだ りんたろう)

生年月日:1904年5月9日
昭和時代の小説家
1946年没

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