日本大百科全書(ニッポニカ) 「富浦」の意味・わかりやすい解説
富浦
とみうら
千葉県南部、浦賀水道に面する安房郡(あわぐん)にあった旧町名(富浦町(まち))。現在は南房総市(みなみぼうそうし)の西部を占める地域。旧富浦町は1933年(昭和8)町制施行。1955年に八束(やつか)村を合併した。2006年(平成18)、安房郡富山町(とみやままち)、三芳村(みよしむら)、白浜町(しらはままち)、千倉町(ちくらまち)、丸山町(まるやままち)、和田町(わだまち)と合併して市制施行、南房総市となった。地名は豊漁の海であることを願ってつけられた。旧町域の北部は丘陵が海面へ突入して岩石海岸をなし、南の大房岬(たいぶさみさき)に抱かれた湾奥は海水浴場である。海岸をJR内房(うちぼう)線と国道127号が走り、内陸部を富津館山道路が通じ、富浦インターチェンジがある。中世、里見氏の領地となり、1572年(元亀3)に7代義弘(よしひろ)が当地の在地土豪、岡本安泰(やすひろ)の居城であった岡本城を接収して城下町を形成した。江戸時代には幕府の直轄地、旗本領地となった。農業はビワ栽培を中心として花卉(かき)・野菜栽培、米作の複合経営が行われ、沿岸漁業や房州うちわの生産もみられる。夏には内房有数の海水浴場となり民宿が多い。大房岬では県のレクリエーション施設大房岬自然公園が整備され、展望塔、運動広場、キャンプ場などがあり、観光の町としての性格も強い。
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