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明治三陸沖地震 めいじさんりくおきじしん

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知恵蔵2015の解説

明治三陸沖地震

1896(明治29)年6月15日午後7時32分ごろ、三陸はるか沖(岩手県東方沖約200キロメートル)を震源に起きたマグニチュード8.2(気象庁資料による)の巨大地震。最大震度は3以下であったが、その約30分後に、当時までの観測史上最大の津波が襲い、死者・行方不明者約2万人という極めて大きな被害を出した。災害としては「三陸地震津波」とも称される。
震度が小さかったために地震の揺れによる直接の被害はわずかにとどまった。しかしながら、北海道から牡鹿半島にいたる海岸に、非常に大きな津波が押し寄せた。波高は綾里(りょうり)(現・岩手県大船渡市)では38.2メートル、吉浜(現・岩手県大船渡市)24.4メートル、田老(現・岩手県宮古市)14.6メートルに達した。2011年の東日本大震災の津波による岩手県宮古市重茂姉吉地区の海抜40.5メートルまでは、綾里の遡上高が観測史上最高であった。
死者・行方不明者は青森343人、宮城3452人、北海道6人、岩手1万8158人の、合計2万1959人(理科年表による)を数え、東日本大震災における死者・行方不明者合計2万508人(11年7月29日現在警察庁まとめ)をも上回る。また、家屋流失1万戸以上、船の被害約7千隻という大きな被害も出した。ハワイでも10メートル近い津波が観測され、更に津波はカリフォルニアにまで達した。
この地震のメカニズムプレートの沈み込みによるプレート間地震であり、地震の規模の割に非常に大きな津波を引き起こした典型的な「津波地震」である。地震動の周期が大きな低周波地震であったため、非常に大きな規模の地震であったことが体感しにくく、このために避難が遅れるなどによってさらに被害が拡大した。官・軍・民による救援が取り組まれ、海岸に隣接する集落について高地への移住も行われた。時が経つにつれ日常生活の利便性から海辺に戻る者も増加し、37年後の1933(昭和8)年の昭和三陸地震の津波では集落の高地移転の成否が明暗を分けたとされる。
プレートの動きにより、この地域ではある時間的間隔で必ず地震が発生し、津波が襲うことが明らかである。このため、東日本大震災の復興事業として集落の高台移転計画や漁港の集約などが再び提案された。しかしながら、漁業で生計を立てる地域住民からは、漁港や養殖場に近接する既存の集落から遠くに離れることは台風や悪天候など災害への対策上難しいとして難色を示す意見も根強く、今後のモデルの模索が続いている。

(金谷俊秀  ライター / 2011年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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