景徳鎮窯(読み)ケイトクチンヨウ

デジタル大辞泉 「景徳鎮窯」の意味・読み・例文・類語

けいとくちん‐よう〔‐エウ〕【景徳鎮窯】

中国江西省景徳鎮にある中国最大の陶窯代に昌南鎮窯として始まり、北宋の景徳年間(1004~1007)に景徳鎮窯と改称青磁白磁影青インチンを産した。また、元代になって染め付け、明代には赤絵焼成が盛んになった。

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精選版 日本国語大辞典 「景徳鎮窯」の意味・読み・例文・類語

けいとくちん‐よう ‥エウ【景徳鎮窯】

〘名〙 中国、江西省北東部の景徳鎮一帯にある中国最大の窯業地。起源は漢から六朝時代ともいわれるが、名称は北宋の景徳年間(一〇〇四‐〇七)に官窯が設けられたことによる。青白磁影青)と呼ばれる白磁を産し、元代に染付(そめつけ)、明代に色絵の焼造が始まり、日本にも輸入され珍重された。

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百科事典マイペディア 「景徳鎮窯」の意味・わかりやすい解説

景徳鎮窯【けいとくちんよう】

中国,江西省景徳鎮にある中国最大の磁窯。起源は,五代のころより青磁を焼成。北宋の景徳年間(1004年―1007年)にすぐれた青白磁を焼いたことから名声を博し,以降景徳鎮窯と呼ばれるようになった。元代には,白磁の釉下に絵文様を描く釉裏紅や青花(染付技法創始。青花磁器はたちまち景徳鎮の主要製品となる。明時代初期には官窯(御器廠(ごましょう))が設けられ,五彩,豆彩といった上絵付装飾もさかんになる。清朝でも官窯がさらなる技術的発展を遂げた。
→関連項目赤絵インチン(影青)景徳鎮古染付粉彩

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「景徳鎮窯」の意味・わかりやすい解説

景徳鎮窯
けいとくちんよう

中国を代表する名窯。窯(かま)は江西(こうせい/チヤンシー)省景徳鎮(けいとくちん/チントーチェン)市およびその周辺に広がっており、中国の最大の古窯であると同時に、現代中国製陶業界においても第1位を占める。景徳鎮窯が初めて歴史に登場するのは隋(ずい)・初唐ともいわれるが、考古学調査では晩唐から五代にかかる9~10世紀にその始原が認められている。初め特色の乏しい青磁や白磁を焼き、当時は昌南(しょうなん)鎮と称していた。そして北宋(ほくそう)景徳年間(1004~07)に景徳鎮と改称した。この時期が確かに景徳鎮窯の台頭期であり、青白磁とよばれる青みのある白磁は、饒玉(宋代には鎮は饒州に属した)という美称を受けた最高級の精作をつくりあげた。元(げん)後期の14世紀には染付磁器を創始して中国陶磁器の王座の位置を固め、明(みん)朝初頭の永楽(えいらく)年間(1403~24)には明朝の官窯が設けられ、さらに不動の名声を得た。清(しん)朝もまた康煕(こうき)19年(1680)に官窯を設置している。元明清時代にあっては、景徳鎮窯の浮沈はそのまま中国陶磁界の主流の浮沈につながるほどであった。

[矢部良明]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「景徳鎮窯」の意味・わかりやすい解説

景徳鎮窯
けいとくちんよう
Jing-de-zhen-yao

中国,江西省浮梁県にある中国最大の窯の一つ。古くは昌江の南岸にあったので昌南窯と称し,北宋の景徳年間に佳品を産したことから景徳鎮窯と改めた。その起源は漢代に始るとの説があり,また六朝時代の陳の至徳1 (583) 年に宮殿の陶礎を焼かせたという伝説がある。唐代には霍仲初 (かちゅうしょ) ,陶玉という名工が出たと伝えられる。窯址も唐代には東山里,博易,宋代には湘湖,勤工,元代には南山,湖田にあり,明代に入って現在のチントーチェン (景徳鎮) に移った。宋代以前には俗に影青 (いんちん) と呼ぶ青白磁を制作したが,元代以降は染付,辰砂 (しんしゃ) ,五彩 (赤絵) を焼き,明代には優秀な各種陶磁が生れた。清代にも精巧な陶磁を産したが,太平天国の乱以後窯数も減少。しかし今日なお中国最大の製陶地である。

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世界大百科事典(旧版)内の景徳鎮窯の言及

【赤絵】より

…この期のものを宋赤絵と呼んでいるが,牡丹や水禽文を赤を主とし緑と黄を加え筆少なに描いている。その後この技法は華北一帯の民窯,磁州窯系の陶技として改良普及され,明代の初期には当時磁器焼造の中心地であった景徳鎮窯にも導入されたものと見られている。まだ明代初期の赤絵については不明な点が多いが,15世紀には成化の豆彩(とうさい)(闘彩)として現れ,その後は日本で古赤絵と呼ぶ嘉靖期(1522‐66)以前の民窯の赤絵として量産された。…

【窯】より

…漢代以後の中国では,北部の窯は平地に築かれた平面が馬蹄形の平窯,南部では傾斜地に築かれた竜窯系の窯が一般的であるが,製品の質や燃料の種類等によって変化があり,南北の差異は一概にはいえない。たとえば明・清代の景徳鎮窯は南方にありながら竜窯系の窯ではなく,基本は平窯で,平面は細長い形をした特殊な形式である(景徳鎮)。唐代後期以後,需要の増大とともに窯の規模は大きくなり,宋代の竜泉窯のように,幅が3m,長さが50mをこえる巨大な竜窯なども築かれた。…

【陶磁器】より

…日本にも大量に輸出され,砧(きぬた)青磁,天竜寺青磁,七官青磁などと呼ばれている。五代には江西省の景徳鎮窯が白磁を生み出し,やがて11,12世紀ころ青白磁(インチン)といわれる青みを帯びた白磁が湖田窯でつくり出され,竜泉窯の青磁とならんで重要な貿易陶磁となる。 華南の諸地域でもこのころ,さまざまな陶磁器をつくり上げ,貿易陶磁として日本を含む東アジア,西アジアに輸出された。…

【白磁】より

…明代には定窯は衰退し,山西省の霍県(かくけん)窯などでわずかに仿定器の白磁がつくられたにすぎない。 一方,華南では江西省景徳鎮窯が五代,北宋の初めに白磁を焼造していたが,北宋中期には,青みをおびた青白釉の磁器を完成し,輸出陶器として国外に大量に輸出された。青白磁,インチン(影青)などと呼ばれるものであるが,胎の中に含まれた微量の鉄分が,還元炎で焼成されたために青みを帯びたのであり,厳密には白磁と呼ぶべき磁器である。…

※「景徳鎮窯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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