改訂新版 世界大百科事典 「最高戦争指導会議」の意味・わかりやすい解説
最高戦争指導会議 (さいこうせんそうしどうかいぎ)
太平洋戦争末期の日本の最高戦争指導機関。政戦両略(国務と統帥)の一致を実現するため,小磯国昭首相の提唱により1944年8月5日大本営政府連絡会議を廃止して設置された。会議の目的は,〈戦争指導ノ根本方針ノ策定及政戦両略ノ吻合調整ニ任ズル〉ことにあり,会議は宮中で開かれ,重要案件の審議には天皇も臨席し,首相,外相,陸相,海相,参謀総長および軍令部総長の6名を正式の構成員,内閣書記官長,陸軍省,海軍省の両軍務局長を幹事とし,必要に応じて他の国務大臣,参謀次長,軍令部次長,枢密院(すうみついん)議長を出席させることとした。またこの会議では,純統帥事項が審議事項からはずされていたから,政戦両略の一致ははじめから困難であり,そのため小磯首相は45年3月特旨をもって大本営に列することになったが,この措置によっても目的を達することができなかった。つづく鈴木貫太郎内閣のもとでは,東郷茂徳外相が軍部の強硬論を押さえるため,正式構成員のみによる会議を提唱し,5月の会議ではソ連を仲介とする和平工作が議せられたが,6月には軍部の主導のもとに全構成員による御前会議で本土決戦遂行のための〈今後採ルヘキ戦争指導ノ基本大綱〉を決定するなど,会議が和戦両派の対立の場となり,ついに8月10日と14日の御前会議では,天皇の裁断によってポツダム宣言の受諾が決定された。会議は敗戦後の8月22日の閣議で廃止され,終戦処理会議にかわった。
執筆者:木坂 順一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報