定まった月齢の夜に,月の出を待ってこれをまつる行事。三日月待,十六夜待,十七夜待,十九夜待,二十二夜待,二十三夜待,二十六夜待などあるが,このうち二十三夜待がもっとも古く,16世紀ごろに京都の公家社会では行われていた。正月,5月,9月の月待が重視され,その夜は家の主人は斎戒沐浴して,翌朝まで起きているのが本来であった。神道的に行う場合は月読(つくよみ)尊の掛軸を床の間に飾り,仏教的に行う場合は勢至(せいし)菩薩の掛軸を飾った。月待は月祭の意で,二十三夜が多いのは,十五夜の後,半弦になる形を重視した感覚による。民間では,女性の講と重複し,子授けや子育ての祈願をする主婦の集まりである事例が多い。月と女性の生理作用とが関連することを潜在的に感知していたことの反映と推察される。月の出のもっとも遅い二十六夜待は,江戸の特徴的な行事となっていた。とくに正月と7月の二十六夜は,高台で海を臨む場所から月の出を待って,徹夜したという。近世には共同飲食や遊びが伴うようになったため,精進潔斎の要素は薄れており,農村の休養をかねたレクリエーションに変化している。
執筆者:宮田 登
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特定の月齢の夜、人々が集まって月の出るのを待ち、祀(まつ)ること。十三夜、十五夜、十七夜、十九夜、二十三夜などが多いが、静岡県西部地方のように三日月を祀る所もある。毎月祀る例は少なく、正月、5月、9月の3回、あるいは正月、11月の一定の月を祀る所が多い。月待は、組とか小字(こあざ)を単位とすることが多く、年齢によるもの、性別によるもの、あるいは特定の職業者だけの信仰者によるものなど、さまざまである。日を1日ずらして、男子の二十三夜に対し、女子だけ二十二夜に集まり、安産祈願を行う所もある。長野県では7月22日を「ニヤマチ」といい、7人ずつそろってするものだという。月待には安産祈願、病気平癒祈願など人にかかわるものが多いのも、月の満ち欠けが生命力に深いかかわりをもつと信じていたからであろう。
[鎌田久子]
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決まった月齢の夜に講集団の成員が集まって飲食をし,月を拝んで夜を明かすこと。十七夜・十九夜・二十三夜などが多い。日待(ひまち)と並んで自然崇拝の最も一般的な形態。身体の潔斎や男女同衾(どうきん)の禁止など物忌(ものいみ)としての性格も強かった。のちに月読(つくよみ)尊や勢至菩薩(せいしぼさつ)など神道や仏教の浸透によって祭神や崇拝する仏が決められ,それを描いた掛軸などが飾られるようになった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…それは稲作以前のことも含めてであるが,名月の晩にはお供えのだんごを子どもたちが無断でいただいてもしかられない風習が昔は広く分布した。また,十九夜や二十三夜を〈月待〉と呼び,村で近隣の同信者が集まって飲食し,歓談しながら夜を更かし,月の出を拝んで散会する風がある。十九夜は〈十九夜さん〉とか〈十九夜観音〉と呼び,出産と育児の安全を願って女性のみで集まることが多い。…
…宗教的な講の集会を一般に日待と呼ぶこともある。集りの日取りにより,甲子待(きのえねまち),庚申待(こうしんまち)などと称しているが,十九夜待,二十三夜待,二十六夜待などは月の出を拝む行事で,日待と区別して月待と呼ぶ。自治的な村の運営の相談をするような村の寄合を日待と称していた地方もある。…
※「月待」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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