月照寺(読み)げつしようじ

日本歴史地名大系 「月照寺」の解説

月照寺
げつしようじ

[現在地名]松江市外中原町

外中原そとなかばら町西端の山裾にある。歓喜山と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。もと忠光ちゆうこう寺と五百羅漢があり(堀尾時代城下図)、のち洞雲とううん寺という禅寺となったが、いつの頃からか無住となって荒廃した(雲陽誌)。松江藩主松平直政は寛文年中(一六六一―七三)に母月照院(徳川家康の次男結城秀康の側室駒)霊牌を安置するため松江城西方のこの地を寺地とし、蒙光山月照寺と名付け、信楽しんぎよう寺五世長誉流安を招いて開山とした。寛文六年に直政が没し、長子の二代綱隆は父の遺命により廟を境内に営み、山号を歓喜山と改め、松平家歴代菩提寺とした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「月照寺」の意味・わかりやすい解説

月照寺
げっしょうじ

島根県松江市外中原町にある浄土宗の寺。勧喜山(かんきさん)と号する。1664年(寛文4)開創。もと洞雲寺という禅寺であった。出雲(いずも)藩主松平直政(なおまさ)が生母月照院の霊牌(れいはい)を安置するため、浄土宗の長誉(ちょうよ)を開基として、月照寺と改称し、2代綱隆(つなたか)が父の遺命により廟(びょう)を建て、松平家歴代の菩提(ぼだい)所とした。小林如泥(にょでい)作の廟門、雷電の顕彰碑、来待石(きまちいし)などがあり、また松平家9代の墓をはじめ、歴代の藩主および奥方の遺品を多く所蔵する。

[清水 乞]


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百科事典マイペディア 「月照寺」の意味・わかりやすい解説

月照寺【げっしょうじ】

島根県松江(まつえ)市にある浄土宗の寺。もと忠光寺という寺と五百羅漢があり,のち洞雲寺という禅寺に,次いで寛文(かんぶん)年中(1661年―1673年)松江藩主松平直政(なおまさ)が母月照院の位牌を安置し,現寺号に改称,菩提寺とした。直政以来9代の墓などがある。

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デジタル大辞泉プラス 「月照寺」の解説

月照寺〔兵庫県〕

兵庫県明石市西部、人丸山公園付近にある曹洞宗の寺院。山号は人麿山、本尊は船乗十一面観世音。弘法大師空海)が赤松山に開いたと伝わる真言宗の寺が起源。1574年改宗、1622年より現在地。

月照寺〔島根県〕

島根県松江市にある寺院。浄土宗。1664年開創。山号は勧喜山、本尊は阿弥陀如来。松江藩主松平家の菩提寺で、墓所は国の史跡に指定。アジサイの名所としても知られる。

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世界大百科事典(旧版)内の月照寺の言及

【明石[市]】より

…昔から明石タイやタコで有名な漁業は,水質汚濁や海面埋立てで衰えた。明石城の東に連なる人丸山上の月照寺境内に東経135゜の日本標準時の子午線標柱があり,付近に1960年に子午線の標識をかねて建設された天文科学館がある。なお西八木海岸の洪積層から,いわゆる明石原人の骨が発掘された。…

※「月照寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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