《平家物語》巻三〈有王〉〈僧都死去〉の登場人物。法勝寺執行俊寛僧都に仕えた侍童。鹿ヶ谷(ししがたに)事件で俊寛が流されてのち,鬼界ヶ島を訪ねてその最期をみとり,遺骨を高野山奥の院に納めて法師になった。諸国七道を修行して主の亡魂を弔ったとあるが,柳田国男は,有王の名が,特定の一人物の固有名詞というより,一群の高野聖(こうやひじり)たちの通り名だったと考えている。〈有〉はミアレ(神の誕生)のアレに同じで,有王とは神子を意味し,亡魂の消息をかたる語り手の通り名としてふさわしい。そこに多様な有王伝説が形成される根拠もあったのであろう。《平家物語》の諸本で,有王の後日談がさまざまにみられるのも,当時複数の有王伝承が行われていたことの証左となる。近松門左衛門作《平家女護島(によごのしま)》では,有王丸は俊寛の妻あずまやを自害にいたらせた清盛を憤って邸内に斬り込み,また俊寛を訪ねて鬼界ヶ島へ下る途中,清盛と後白河法皇の厳島参詣に行き会い,海につき落とされた法皇を助けて清盛の家来たちと奮戦する。九州地方を中心とする各地に有王・俊寛の遺跡や,それに付随する伝説などが分布する。これらは有王を称する伝承者の足跡と無関係ではないであろう。
→俊寛
執筆者:兵藤 裕己
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(櫻井陽子)
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…【飯田 悠紀子】
[伝承]
《平家物語》によれば平判官康頼と丹波少将成経は島内を熊野詣の霊場に見立て,また康頼は祝詞を作り,率都婆を海に流すなどして帰洛を祈ったが,俊寛は〈天性不信第一の人〉にて神仏にも祈らず,翌年の中宮徳子の御産にともなう大赦では,俊寛一人が謀反の張本として島に残される。俊寛は餓鬼に見まがうほど落ちぶれるが,京で召し使っていた侍童の有王(ありおう)から,都での妻子の死などを知らされ,悲嘆のうちに死んでいく。有王は俊寛の遺骨を高野山に納めて出家し,諸国七道を修行して主の後世を弔ったという。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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