有馬温泉は京畿に近いため古くから知られており、「日本書紀」に最も早く登場する温泉である。同書によると舒明天皇は三年九月と一〇年一〇月に、孝徳天皇は大化三年(六四七)一〇月「有間温湯」「有間温湯宮」に行幸した。孝徳天皇の子有間皇子の名は、同天皇の即位前、有間湯治中に生れたことによるという説がある。「釈日本紀」に引く「摂津国風土記」逸文では有馬郡に「塩湯」があり、孝徳天皇が行幸して行宮を造営、塩湯の発見は蘇我馬子の時代と伝えている。孝徳天皇の行宮は
平安時代の有馬は近場の湯治場として貴顕の人気を集めるようになる。万寿元年(一〇二四)には藤原道長(「小右記」同年一〇月二五日条)、長久三年(一〇四二)には藤原頼通(「百錬抄」同年閏九月二三日条)が下向している。しかし山間渓谷に位置するため被災することもあり、温泉はその都度復興された。永長二年(一〇九七)八月五日、近畿地方を台風が襲い京都をはじめ近郊に大被害をもたらした(中右記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
兵庫県神戸市北区にある温泉。泉質は単純温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、放射能泉。古くからの温泉地として知られ、『日本書紀』には舒明(じょめい)天皇来訪の記載がある。僧行基(ぎょうき)はここに温泉寺を開いたという。また僧仁西(にんさい)が温泉を復興し、12の僧坊を建立。今日でも温泉に「中の坊」「御所の坊」などの名が付されている。豊臣(とよとみ)秀吉はたびたび湯治に訪れており、荒れていた温泉復興に力を尽くした。大阪、神戸に近く、閑静な保養地として知られ旅館街の近代化が進んでいる。温泉神社では正月に行基と仁西の木像に湯を注ぐ入初式があり秀吉をしのぶ茶会も催される。
[藤岡ひろ子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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