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戦国大名。初め斯波(しば)氏の重臣、守護代であったが、のち、戦国大名越前(えちぜん)(福井県)朝倉氏の初代となる。教景(のりかげ)、敏景(としかげ)ともいう。応仁(おうにん)の乱(1467~1477)のとき、当初西軍斯波義廉(よしかど)に従い、東軍の斯波義敏(よしとし)を攻めるなど西軍の猛将として活躍したが、将軍足利義政(あしかがよしまさ)、管領(かんれい)細川勝元(かつもと)の誘いに応じ東軍に寝返り、1471年(文明3)主家斯波氏から越前の支配権を奪取した。福井市心月(しんげつ)寺に伝わるその画像(国指定重要文化財)は、一代の英雄のおもかげをよく伝えている。また「朝倉敏景十七箇条」(孝景条々)は、台頭する戦国大名の合理的なものの考え方を示し、戦国家法として著名である。文明(ぶんめい)13年7月26日没。法名英林宗雄。
[水藤 真]
戦国時代の武将,越前国の大名。幼名孫次郎,のち弾正左衛門尉に任ず。貞景の嫡子。孝景の治世は政権が最も安定し,近隣諸国さらに中央政局の動向にも密接な関与をしたが,最大の悩みは一向一揆対策であった。1513年(永正10)六角氏を破り,将軍足利義稙(よしたね)の還京に成功。27年(大永7)三好氏と争い勝利を得,のち相伴衆となる。35年(天文4)後奈良天皇の即位式費用1万疋を献上。
執筆者:細溝 典彦
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1428.4.19~81.7.26
室町中期の武将。家景の子。初名教景。「朝倉始末記」などは敏景とする。法名英林宗雄。越前国における管領斯波(しば)氏の被官。守護代斯波義廉(よしかど)を家督に擁し,寺社本所領の押領を進めた。応仁・文明の乱でははじめ西軍に属したが,越前国支配権の公認を条件に東軍に転じる。越前国回復をめざす斯波義良との対陣中に病没。子の氏景のために家訓「朝倉孝景条々」を残す。
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