権門,寺社,官衙などの造営用材木の集積・加工場所たる木屋所(きやしよ)の番人。奈良・平安時代,大寺社や権門勢家の邸宅などの造営,修理がやすむことなく続けられたが,それには材木の集積が不可欠であった。そのような材木の集積場所として,泉木津(現京都府木津川市,旧木津町)など各地の交通至便な地点には,各権門,大寺社などの木屋所が設定され,そこに木守が置かれた。例えば泉木津に置かれた東大寺の木屋所は,畠地4町の敷地であったが,1160年(永暦1)には,東大寺の木守3名と15人の寄人(よりうど)が居住し,寺役を務めており,その上に木屋預(きやあずかり)が置かれていたことがわかる。さらに同じ敷地内には,興福寺の木守6人と〈伴類等合十余家〉(〈東大寺三綱申文〉)も居住していた。1126年(大治1)には,興福寺木守らが東大寺の寺役を務めるべきか否かをめぐって,両寺の紛争となっている。泉木津では木材などの交易価格も定められており,木守らは,権門や寺社の課役を勤仕するかたわら,木材などの商業・交易活動を活発に展開していたと考えられる。なお,貴族の邸宅の庭園などの樹木を守ること,およびその番人のことも木守といった。
執筆者:黒田 日出男
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