本州造山運動(読み)ほんしゅうぞうざんうんどう

改訂新版 世界大百科事典 「本州造山運動」の意味・わかりやすい解説

本州造山運動 (ほんしゅうぞうざんうんどう)

古生代後期から中生代初期にかけて本州,四国,九州の主部に及んだ造山運動牛来正夫が提唱し(1955),この造山運動は本州地向斜の発展と密接な関連をもつものとされた。一方,東北日本の南部北上山地では石炭紀・二畳紀初期にかけての安倍族造山運動が湊正雄により提唱された(1960)。両造山運動は年代的には一部重複するので,広義の本州造山運動として安倍族造山運動をも含み,本州地向斜域の変動の総称として適用されることもあった(湊,牛来,舟橋三男ら,1965)。その際,狭義の本州造山運動とは二畳紀後半から三畳紀にわたる一連の変動をさした。これは三畳紀中ごろを重視する秋吉造山運動よりは期間的にも空間的にもより広い範囲の一連の変動を強調している。ところで,1970年代以降になると本州地向斜中の従来の〈古生層〉から,古生代化石を産出する岩体のほかに,新たに三畳紀さらにジュラ紀にわたる種々の年代を示す化石が多数の地点から発見され,種々の年代の岩体が複雑な堆積的ないし構造的関係をもって混在していることが判明した。その結果,ジュラ紀変動の重要性が注目されることとなってきた。また地向斜の形成過程の理解も,堆積学や古地磁気学上の検討が進むにつれて,新たに深められ,本州造山運動の期間や性格については近年把握の仕方が変化してきた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本州造山運動」の意味・わかりやすい解説

本州造山運動
ほんしゅうぞうざんうんどう

地向斜・造山運動論に基づいて、古生代末期ペルム紀〈二畳紀〉末期)から中生代初期(三畳紀初期)にかけて、本州地向斜域全般におこったとされた造山運動。この造山運動によって、古生代シルル紀からペルム紀にわたって本州地向斜に堆積(たいせき)した地層が変成・変形を被り褶曲(しゅうきょく)山脈となって、現在の日本列島の骨格が形成されたと解釈された。またこの造山運動はヨーロッパにおけるバリスカン造山運動に対比された。しかし、日本列島域のペルム紀から三畳紀の地層のかなりの部分は整合一連に堆積していて、ペルム紀末期から三畳紀初期の陸化を伴う変動は局所的であったことが明らかにされている。したがって本州造山運動は、秩父(ちちぶ)地向斜における秋吉造山運動の局地的変動を表しているとみなしうる。

 また、領家(りょうけ)変成帯、三波川(さんばがわ)変成帯もこの時期の本州造山運動とされたが、いずれも白亜紀に変成したことが分かっている。現在ではペルム紀からジュラ紀のものが秋吉造山運動、白亜紀のものは佐川造山運動とされ、本州造山運動の用語は使われなくなっている。

[吉田鎮男・村田明広]

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百科事典マイペディア 「本州造山運動」の意味・わかりやすい解説

本州造山運動【ほんしゅうぞうざんうんどう】

日本列島の主部(本州区)をつくった古生代末を中心とする造山運動。1955年に牛来正夫が提唱。石炭紀に入るころ本州地向斜に局地的な褶曲(しゅうきょく)運動が始まり,ペルム紀後半〜三畳紀前半に造山運動の最盛期を迎えたとされた。具体的には秩父古生層の強い褶曲,その一部の広域変成作用(三郡,領家,三波川の各変成帯),花コウ岩の貫入および全般的隆起による山脈の出現であった。東北日本では石炭紀の褶曲運動が明白で安倍族造山運動,西南日本ではややおくれてペルム紀〜三畳紀の褶曲運動が明白で狭義の本州造山運動と呼ばれ,両者を合わせて広義の本州造山運動といった。小林貞一の秋吉造山運動とは造山運動の広がりや特徴,中軸変成帯についての考え等が異なる。近年の研究では,石炭紀の褶曲運動は存在しないことが明らかとなり,安倍族造山運動は否定されている。また,秩父古生層の主体は中生代の付加堆積物であり,一連の運動としての本州造山運動は否定されている。
→関連項目バリスカン造山運動

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