本福寺(読み)ほんぷくじ

日本歴史地名大系 「本福寺」の解説

本福寺
ほんぷくじ

[現在地名]大津市本堅田一丁目

本堅田ほんかたたにある浄土真宗本願寺派寺院。夕陽山と号し、本尊阿弥陀如来。文政八年(一八二五)の本堅田村絵図(伊豆神社蔵)では堀に囲まれた祥瑞しようずい寺の南に立地している。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔開基善道・三代法住〕

当寺には「本福寺跡書」、「明宗日記」(「明宗跡書」とも)、「本福寺由来記」「本福寺門徒記」(以下略称を用いる)など、真宗史研究上の著名でかつ貴重な記録が蔵されている。それらによれば、開基は善道で、もとは三上みかみ神社(現滋賀県野洲町)の神職であったが、一四世紀三上神社の神職内の争いにより、善道は一方の神職を殺害し神職を捨てて各地を流浪、のち堅田に至り、本願寺覚如に帰依して剃髪したことに始まる。覚如は観応二年(一三五一)一月に没しており、帰依したのは覚如の晩年のことであろう。康安元年(一三六一)には息男覚念が生れている。近江に進出していた仏光ぶつこう(現京都市下京区)教団に批判的であった覚如にとって、堅田の善道の帰依を得たことは近江進出の一拠点を確保したことを意味していた。善道は堅田に紺屋を営んだといい、正長元年(一四二八)一二月には三代法住が山門執行代学賢・別当代恵運より「右志賀郡紺屋方、横河中堂御供用於在運上者、万一自余望申族有之者為其方堅可有成敗者也」と滋賀郡の紺屋支配を安堵されている(寺蔵文書)。二代覚念は綽如・巧如に仕えたようであるが、晩年には禅宗に改宗したという。堅田には一四世紀に大徳寺系の臨済禅が進出しており、殿原衆に支えられて玉泉ぎよくせん庵・聖瑞庵が寺基を固めていたが、紺屋を営み全人衆に属したと思われる覚念は殿原衆への対抗上、高山明亭・明達親子と一味同心して三上氏・高山氏を檀那とする高徳こうとく庵を建立したという。

法住は応永四年(一三九七)に生れ、同二〇年に初めて研屋道円・麹屋太郎三郎衛門と同道して京都東山大谷本願寺に参詣する。由来記には「御本寺様ハ人セキタヘテ参詣ノ人一人モミエサセタマハス、サヒサヒトスミテオハシマス(中略)応永二十年ノ比、シルタニ仏光寺コソ名張ヱケイツノ比ニテ、人民クンシフシテコレニコソル、イサヤマイラントテマイリ、仏光寺弟ノ西坊ニアヒテ法ヲキク、名張ヱケイツヲサツケラレケレハ祝着ナノメナラス」とあり、巧如期の本願寺の衰微と仏光寺の繁栄ぶりを伝え、法住はこれ以後仏光寺に参詣したという。しかし西坊の起こした事件を契機に仏光寺を離れ、応永二三年に再び研屋道円・麹屋太郎三郎衛門とともに本願寺に参詣し、門主に近侍していた本弘寺大進の取次ぎにより巧如に面謁している(由来記)

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改訂新版 世界大百科事典 「本福寺」の意味・わかりやすい解説

本福寺 (ほんぷくじ)

滋賀県大津市本堅田町にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺。夕陽山と号する。正和年間(1312-17)善道の開創と伝える。善道は,もと野洲郡御上神社の神職であったが,堅田に移住し本願寺覚如の弟子となったという。2世覚念は臨済禅に転宗したが,3世法住は本願寺蓮如に深く帰依した。1465年(寛正6)比叡山衆徒が本願寺を破却したとき,法住は蓮如を堅田に迎えるなど本願寺の発展に尽力した。4世明顕,5世明宗は蓮如の子実如に仕えて功績があったが,のち明宗は本願寺一家衆蓮淳の不興をこうむり3度にわたる勘気を受けた。その苦難の手記《本福寺明宗跡書(みようしゆうあとがき)》(1538)など一連の記録は,一向一揆研究や中世生活史解明に不可欠の史料として重要である。近世,元禄期の住職11世明式は当寺中興の祖といわれるが,千那と号して俳諧をたしなみ芭蕉の門人として著名で,著書に東国の親鸞遺跡巡拝記《白馬紀行》などがある。12世明因も角上と号する俳僧で,《白馬紀行口耳》を編している。
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百科事典マイペディア 「本福寺」の意味・わかりやすい解説

本福寺【ほんぷくじ】

滋賀県大津市にある浄土真宗本願寺派の寺。本願寺覚如(かくにょ)に帰依した善道(ぜんどう)が14世紀前半に開創。3代法住(ほうじゅう)の時には真宗教団の湖西の拠点であった。1468年比叡山衆徒に攻められ,一時堅田(かたた)を撤退,1470年山門に莫大な礼金を納めて還住を果たしている。堅田は水陸交通の要地で,善道や法住は紺屋を営んでいたといい,門徒等も幅広く商業活動を行っていた商人・職人層を中核とし,〈寺内町〉が形成されていたとされる。5世明宗(めいしゅう)は門信徒の直参化を進める実如(じつにょ)に反し3度の勘気を受け,以後湖西門徒の中心寺は堅田慈敬(じきょう)寺に移った。

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