日本歴史地名大系 「本福寺」の解説
本福寺
ほんぷくじ
〔開基善道・三代法住〕
当寺には「本福寺跡書」、「明宗日記」(「明宗跡書」とも)、「本福寺由来記」「本福寺門徒記」(以下略称を用いる)など、真宗史研究上の著名でかつ貴重な記録が蔵されている。それらによれば、開基は善道で、もとは
法住は応永四年(一三九七)に生れ、同二〇年に初めて研屋道円・麹屋太郎三郎衛門と同道して京都東山大谷本願寺に参詣する。由来記には「御本寺様ハ人セキタヘテ参詣ノ人一人モミエサセタマハス、サヒサヒトスミテオハシマス(中略)応永二十年ノ比、シルタニ仏光寺コソ名張ヱケイツノ比ニテ、人民クンシフシテコレニコソル、イサヤマイラントテマイリ、仏光寺弟ノ西坊ニアヒテ法ヲキク、名張ヱケイツヲサツケラレケレハ祝着ナノメナラス」とあり、巧如期の本願寺の衰微と仏光寺の繁栄ぶりを伝え、法住はこれ以後仏光寺に参詣したという。しかし西坊の起こした事件を契機に仏光寺を離れ、応永二三年に再び研屋道円・麹屋太郎三郎衛門とともに本願寺に参詣し、門主に近侍していた本弘寺大進の取次ぎにより巧如に面謁している(由来記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報