杉浦村(読み)すぎのうらむら

日本歴史地名大系 「杉浦村」の解説

杉浦村
すぎのうらむら

[現在地名]余目町杉浦

宮曾根みやぞね村の北東高田麦たかたむぎ村の北西にある。酒田街道が北へ通り、羽黒へ向かう道が東へ分れる。杉之浦・杉ノ浦とも記される。開発年代は不詳だが、酒田浄福じようふく寺の開山明順(九州の豪族菊池氏の子孫十郎左衛門佐武邦)が、文明年間(一四六九―八七)この地に八幡大菩薩を祀ったといわれており、当時すでに開村していたと推察される(余目町史)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高四六石余。寛永元年庄内高辻帳では高一三七石余。正保郷帳では田方一六九石余・畑方八四石余で旱損とある。


杉浦村
すぎのうらむら

[現在地名]肥前町大字杉野浦すぎのうら

伊万里湾に臨む海岸沿いの農村で、段々畑が多い。港に適する入江があるが漁業に従事する者は少ない。古来、唐津から平戸(現長崎県平戸市)への渡船場であった。大帆立おおほたて島・小帆立こほたて島・島が入江の前面にある。

慶長絵図に「杉浦」とある。杉野浦とも書く。字新田しんでんは幕末頃に庄屋干拓造成した土地。藩政期、平戸藩主の参勤交代時の上陸地になっており、庄屋屋敷内に宿舎としてのお茶屋や長屋・馬屋などが設けられていた。


杉浦村
すぎうらむら

[現在地名]大鰐町長峰ながみね 杉浦平すぎうらたい

東に駒木こまき村、西に長峰村がある。

旧称大平漆松おおだいらうるしまつ新田であったというが(青森県租税誌)、貞享四年(一六八七)検地帳に杉浦村とあり、駒木村とともに長峰村の支村で、畑屋敷合せて五反一畝二六歩、村高二・七二四石とあった。うち畑方は下畑のみで二反八畝一五歩、〇・八五五石、屋敷は二反三畝一一歩とあり、田地はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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