村野常右衛門(読み)むらのつねえもん

改訂新版 世界大百科事典 「村野常右衛門」の意味・わかりやすい解説

村野常右衛門 (むらのつねえもん)
生没年:1859-1927(安政6-昭和2)

政治家。4代常右衛門の長男として武蔵国南多摩郡に生まれる。自由民権運動に参加し,1885年大阪事件連座してその名を広く知られる。出獄後三多摩の壮士の組織化に成功し,98年衆議院議員に当選。1905年政友会幹事となり,原敬を助けて政党内閣樹立に努力した。晩年は1922年貴族院議員勅選され,他方,大日本国粋会会長に就任して国権主義者の行動を支援した。この間,小田急電鉄敷設尽力し,横浜倉庫会社社長,横浜鉄道監査役に就任した。生涯を通じて,相互に微妙な関係にある民権派と国権派とを矛盾なく一身に体現した人物の代表例である。
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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「村野常右衛門」の解説

村野 常右衛門
ムラノ ツネエモン


肩書
衆院議員(政友会),貴院議員(勅選),横浜倉庫社長

生年月日
安政6年7月25日(1859年)

出生地
武蔵国南多摩郡野津田村(現・東京都町田市)

経歴
豪農村野家の長男に生まれる。自由民権を唱え、明治14年石坂昌孝らと政治結社融貫社結成、地方自治に奔走。18年大井憲太郎らの大阪事件に連座、20年和歌山で入獄。22年憲法発布で特赦、以後鶴川村会議員、神奈川県会議員を経て、31年以来東京から衆院議員当選9回、この間政友会幹事長、総務をつとめた。大正11年勅選貴院議員。傍ら小田急電鉄敷設に尽力、横浜倉庫社長、横浜鉄道監査役などを務めた。

没年月日
昭和2年7月30日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「村野常右衛門」の解説

村野 常右衛門
ムラノ ツネエモン

明治・大正期の政治家,実業家 衆院議員(政友会);貴院議員(勅選);横浜倉庫社長。



生年
安政6年7月25日(1859年)

没年
昭和2(1927)年7月30日

出生地
武蔵国南多摩郡野津田村(現・東京都町田市)

経歴
豪農村野家の長男に生まれる。自由民権を唱え、明治14年石坂昌孝らと政治結社・融貫社を結成、地方自治に奔走。18年大井憲太郎らの大阪事件に連座、20年和歌山で入獄。22年憲法発布で特赦、以後鶴川村会議員、神奈川県会議員を経て、31年以来東京から衆院議員当選9回、この間政友会幹事長、総務を務めた。大正11年勅選貴院議員。傍ら小田急電鉄敷設に尽力、横浜倉庫社長、横浜鉄道監査役などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村野常右衛門」の解説

村野常右衛門 むらの-つねえもん

1859-1927 明治-大正時代の政治家。
安政6年7月25日生まれ。生家は武蔵(むさし)多摩郡(東京都)の豪農。自由民権運動にくわわり,明治14年石坂昌孝らとともに融貫社を結成。31年衆議院議員(当選8回)。政友会幹事長をつとめた。大正4年内相大浦兼武の選挙干渉を告発。11年貴族院議員。昭和2年7月30日死去。69歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「村野常右衛門」の解説

村野 常右衛門 (むらの つねえもん)

生年月日:1859年7月25日
明治時代;大正時代の政治家。衆議院議員
1927年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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