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来栖三郎 クルスサブロウ

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デジタル大辞泉の解説

くるす‐さぶろう〔‐サブラウ〕【来栖三郎】

[1886~1954]外交官。神奈川の生まれ。駐ドイツ大使として日独伊三国同盟を成立させ、太平洋戦争直前には、特派大使として対米交渉を行った。

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百科事典マイペディアの解説

来栖三郎【くるすさぶろう】

外交官。横浜市出身。東京高商卒。1940年駐独大使として日独伊三国同盟に調印。1941年10月,特派大使として米国に派遣され,野村吉三郎駐米大使とともに太平洋戦争開戦まで対米交渉に当たった。
→関連項目真珠湾攻撃

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世界大百科事典 第2版の解説

くるすさぶろう【来栖三郎】

1886‐1954(明治19‐昭和29)
明治昭和期の外交官。横浜商工会議所副会頭来栖荘兵衛の三男で横浜市生れ。1909年(明治42)東京高等商業学校(現,一橋大学)を卒業し,翌年外務省入省。中国,アメリカフィリピン,チリ,イタリアギリシアなどでの勤務を経て,28年(昭和3)ペルー公使,32年外務省通商局長,36年ベルギー大使,39年ドイツ大使となった。日米関係の改善と安定を第1と考え,日本の対独接近には批判的であったが,40年9月の日独伊三国同盟調印に際しては大使として署名した。

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