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東フランク王国 ひがしフランクおうこくOstfrankenreich; Francia Orientalis

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東フランク王国
ひがしフランクおうこく
Ostfrankenreich; Francia Orientalis

ベルダン条約 (843) により,カロリング朝時代のフランク王国が3分されたとき,東部に成立した王国 (843~919) 。ルートウィヒ2世 (ドイツ王) が創建。エルベ川ザーレ川ボヘミア森林を東の境とし,西はライン川アーレ川を国境線とする。

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デジタル大辞泉の解説

ひがしフランク‐おうこく〔‐ワウコク〕【東フランク王国】

フランク王国の東部を領有した王国。843年のベルダン条約によって成立したが、諸侯勢力が強く、911年、王朝の断絶によって消滅。現在のドイツの地理的母体となった。→西フランク王国

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百科事典マイペディアの解説

東フランク王国【ひがしフランクおうこく】

843年のベルダン条約,870年のメルセン条約フランク王国が3分されてできた王国。ドイツの前身。カロリング朝ルートウィヒ2世(在位843年―876年,ドイツ人王)に始まり,884年カール3世が東西フランク王国を一時再統一した。
→関連項目ドイツ

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大辞林 第三版の解説

ひがしフランクおうこく【東フランク王国】

フランク王国が九世紀に三分割されてできた王国。カロリング朝のルートビヒ二世が初代国王となった。ドイツの前身。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東フランク王国
ひがしふらんくおうこく
Ostfrnkisches Reich

9世紀のベルダン、メルセン両条約によるフランク王国の分割の結果成立した王国。のちにドイツ王国に発展した。ルートウィヒ2世(在位843~876)が初代国王となり、王国を構成するフランケンザクセンアラマンバイエルンなどの諸部族の独立性が強かった。2代カール3世(在位876~887)のとき一時西フランク王をも兼ねたが、ノルマン人のパリ包囲に際し、屈辱的敗北を喫して廃位された。ついで甥(おい)のケルンテン辺境伯アルヌルフが東フランク王(在位887~899)に選ばれ、ブラバントのレーウェン(ルーフェン)でノルマン人を破った。その子ルートウィヒ4世(幼児王、在位899~911)の夭折(ようせつ)でカロリング家の血統が断絶したため、東フランク貴族たちに選ばれてフランケン公コンラート1世(在位911~918)が王位につき、東フランク王国が滅んで、諸部族の連合体という形のドイツ王国が誕生した。[平城照介]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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