東住吉事件(読み)ひがしすみよしじけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「東住吉事件」の意味・わかりやすい解説

東住吉事件
ひがしすみよしじけん

1995年(平成7)、小学6年生の女児が死亡した大阪市東住吉区の民家の火災で、母親と内縁の夫が保険金目当てに共謀して放火したとして、無期懲役判決を受けた事件。その後弁護団が行った燃焼実験をもとに、裁判所自白の信用性は大幅に減殺されたとし、再審開始を決定。再審では、自白には任意性もなく、火災は自然発火の可能性があるとして、2人は無罪となった。

[江川紹子 2017年1月19日]

発生~判決確定

火災が発生したのは、1995年7月22日午後4時50分ごろ。出火元は木造家屋1階の土間兼車庫とみられた。車庫に隣接する風呂場(ふろば)から、入浴中だった女児(11歳)の遺体が発見された。母親の青木恵子は長男(9歳)を外に連れ出し、同居していた朴龍晧(ぼくたつひろ)も屋外に逃げて無事であった。大阪府警は、東住吉署に捜査本部を設置して捜査を開始。9月10日早朝に青木を同署へ、朴を平野署へ任意同行し、取調べを行った。

 2人は、当初は否認していたが、その後犯行を認める自供書の作成に応じた。同日夜、2人は逮捕され、その後現住建造物等放火、殺人、それに女児にかけられていた保険金を請求した詐欺(さぎ)未遂で起訴された。

 公判段階では、2人は当初から否認していたが、大阪地裁は1999年3月、朴に対し無期懲役の有罪判決を、同年5月、青木にも無期懲役判決を、それぞれ言い渡した。いずれも控訴したが、大阪高裁は、2004年(平成16)11月に青木に対し、同年12月に朴に対して、控訴棄却を言い渡した。そして最高裁が、2006年11月に朴の、同年12月に青木の上告棄却して有罪判決が確定。2人は服役生活に入った。

 確定判決では、2人はマンション購入のための資金等に窮したことから、火災事故を装って女児を殺害し、保険金を詐取しようと共謀し、青木が女児を入浴させたうえで、朴が車庫のコンクリート床面に車から抜き取ったガソリンをまき、ライターで火を放って、木造家屋を全焼させた、とされた。その後、保険会社に対し、女児にかけてあった保険金1500万円の支払いを請求した。

 2人と犯行を直接結びつける証拠は、自白のみであった。大阪地裁は、実行犯朴の自白は任意性があり、内容も具体的かつ詳細で信用性がきわめて高いと認定し、一方、犯行を否認する公判供述は不自然で信用できないと断じた。そして、朴の自白とおおむね合致している青木の自白も、十分信用性があるとした。公判では、車庫に面した風呂釜(がま)の種火に、漏れたガソリンが引火した自然発火の可能性を指摘する専門家の証言もあったが、同地裁はその可能性はきわめて低く、朴の自白の信用性を否定するに足るものではない、と退けた。

 また控訴審では、自白にあるように7リットルものガソリンをまいて点火をすれば、爆発的な燃焼が起こり、相当のやけどを負うはずだと、疑問を呈する専門家の意見も出されていた。しかし大阪高裁は、爆発的燃焼はまいたガソリンの蒸発時間などにもより、自白ではまいてすぐに点火しているため、こうした疑問には理由がないとして退けた。

[江川紹子 2017年1月19日]

再審

朴は2009年7月、青木は同年8月に再審請求を行った。

 有罪の最大の根拠となった朴の自白では、約7リットルのガソリンをまき、火をつけた後、いったん室内に戻り、青木と会話をした後、初めて炎に気づいたふりをして、車庫を通って外に出た、となっている。このとき朴はパンツ一枚の格好であったが、髪が若干焦げる程度で大きなやけどはしていない。

 弁護団は、この自白の信用性を弾劾するため、火災燃焼学の専門家の監修で、現場を忠実に再現した実験を行った。大工の証言や図面をもとに、床面の傾斜を含めて車庫を復元し、朴が使っていたのと同じ車を置き、同じ風呂釜を設置し、そこに同じタンクからガソリンを床面に流した。ガソリンをまく作業は、機械を遠隔操作して行った。すると、すべてまき終わる前に、気化したガソリンが種火に引火し、激しく燃え上がって車庫全体が炎に包まれた。

 大阪地裁は2012年3月、この実験で朴の自白の信用性に疑問が生じたうえ、青木との謀議に関する自白などにも不自然な点があるとして、2人の再審開始を決定した。

 同地裁は、その後2人の刑の執行停止を認めたが、検察側が抗告。大阪高裁は「執行を止めなければ正義に反するような状況ではない」として執行停止を認めず、最高裁もこれを追認して、この時点では2人は釈放されなかった。

 地裁の再審開始決定に対し、検察側は即時抗告。弁護側の再現実験に対抗するため、検察側として独自の実験を行うことにし、床の傾斜などの条件を変えた3通りの再現実験を行った。しかし、いずれもガソリンをまき終える前に、激しい燃焼が起こり、かえって弁護側実験を補強する結果になった。

 2015年10月23日、大阪高裁は検察の即時抗告を棄却。新たな弁護側の鑑定結果により、ガソリンを満タンにした車からガソリン漏れの可能性があることもわかり、当時の家計の状況は、放火殺人という重大犯罪を共謀する動機としては不自然などとして、朴の自白には「高い信用性は認められない」とした。

 同高裁は、刑の執行停止を決め、10月26日に2人は釈放された。検察側は、特別抗告を断念したため、再審開始が確定した。

 2016年4月28日に行われた朴の再審公判で、検察側は有罪主張をせず「裁判官において、しかるべく判断していただきたい」とした。公判は即日結審。青木の再審公判は、5月2日に行われ、検察側は同様の対応をし、即日結審した。

 判決は8月10日に言い渡された。いずれも無罪。検察が即日上訴権を放棄したため、2人の無罪が確定した。

[江川紹子 2017年1月19日]

自白の任意性

再審の判決は、有罪判決の柱になっていた朴の自白がつくられる経緯を詳細に検討し、その任意性を判断している。

 朴は、取調べの警察官から、暴力を伴う威迫的な取調べを受け、青木の長男が犯行を目撃したとの虚偽を告げられ、さらに朴が女児に対して性的虐待を行っていたことを「マスコミにばらす」と脅され、「青木はもうぺらぺらしゃべっているぞ」などといわれ、犯行を認めるに至った、と述べている。その後、否認に転じたが、有罪であることを前提にして反省を求める父親からの手紙を見せられ、弁護士の悪口を聞かされて、だれも味方をしてくれる人はいないという絶望感から、ふたたび虚偽の自白をした、と訴えた。

 一方、取調べの警察官は、法廷での証言で、そうした取調べを否定。同僚の警察官もそれにあう証言をした。

 しかし、再審請求審の抗告審で、裁判所の勧告により、警察官が作成した取調べ日誌やメモが証拠開示された結果、警察官の法廷での証言内容と矛盾していることが明らかになっていた。

 再審の判決は、取調べの警察官は「虚偽の供述」をしているとし、同僚と「口裏あわせをしていたという疑いが濃厚に認められ」ると判断。心理的強制を受け、虚偽自白が誘発されるおそれのある取調べがなされていたと認め、その後も疑いを晴らすことはできないとのあきらめやできるだけ情状をよくしたいとの思いから、取調官に迎合して虚偽の供述を続けたとして、朴の自白すべてに任意性なしとして証拠能力を認めなかった。

 青木も、娘が死んで以来、食事も満足にとれないほど弱っていたところに、取調官が「(女児を)助けられへんかったんは殺したんと同じや」などとどなり、机をたたくなどして自白を迫り、朴による娘に対する性的虐待の事実を繰り返し告げられるなどしたため、自暴自棄の状態に陥って、犯行を認めた、と述べている。

 再審判決は、当初から過度の精神的圧迫を加える取調べが行われ、虚偽の自白をせざるをえない状況に陥ったとして、青木の自白の任意性も否定した。

 裁判所が警察官の証言を「虚偽」と認定し、確定審では任意性を認めていた自白調書すべてについて、再審で任意性を否定するのは、希有(けう)な事例といえる。

[江川紹子 2017年1月19日]

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