東吾妻(読み)ひがしあがつま

改訂新版 世界大百科事典 「東吾妻」の意味・わかりやすい解説

東吾妻[町] (ひがしあがつま)

群馬県中央西部,吾妻郡の町。2006年3月吾妻町と吾妻郡東(あずま)村が合体して成立した。人口1万5622(2010)。

東吾妻町中西部の旧町。吾妻郡所属。1955年原町を中心に4町村が合体,56年に現名に改称。人口1万4515(2005)。町域は榛名山北西麓から吾妻川の支流温(ぬる)川流域の山地,さらに吾妻川北岸に広がる。中心集落の原町は中之条盆地の南西隅,吾妻川北岸の河岸段丘上にある谷口集落で,近世初期から市場町として発達したが,現在は四万(しま)川をへだてて対向する中之条町に商圏を奪われ,停滞している。産業の中心は農業で,コンニャクを中心にミョウガシイタケの生産,畜産が行われる。70年代の工場誘致で,自動車部品,電子部品などの工場が進出した。西に接する長野原町にかけての吾妻川の渓谷吾妻峡といわれ,国の名勝に指定されている。吾妻川沿いにJR吾妻線が通る。北部には弥生中期の岩櫃山(いわびつやま)遺跡があり,原町市街地東端の大ケヤキ(天)は江戸時代初期に町割りが行われたときの基点といわれる。

東吾妻町東部の旧村。吾妻郡所属。人口2332(2005)。吾妻川の南岸,榛名山北東麓を占める。おもな集落は吾妻川の河岸段丘上に位置する。村域の大半山林である。榛名山麓の岡崎は近世の新田集落で,榛名湖から流下する沼尾川の水をひき,開田された。渋川市をはじめ村外への通勤者が多い。吾妻川南岸の箱島では湧出する地下水を利用してマスの養殖が行われており,県営養鱒場(現,群馬県水産試験場箱島養鱒センター)もある。1960年代以降,人口の流出が激しく,過疎地域に指定されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東吾妻」の意味・わかりやすい解説

東吾妻(町)
ひがしあがつま

群馬県中西部、吾妻郡にある町。2006年(平成18)、吾妻郡吾妻町、東村(あづまむら)が合併して成立。岩櫃(いわびつ)山や浅間隠(あさまかくし)山、榛名(はるな)山など1000~1500メートル級の山々が連なる。北部を吾妻川が東流し、浅間隠山を水源に町の南西部を流れ下った温(ぬる)川が、吾妻川に注ぐ。吾妻川沿いにJR吾妻線、国道145号が走り、温川の上流部には国道406号が通じる。日本一短い鉄道トンネル「樽沢トンネル(たるさわとんねる)」(吾妻線岩島(いわしま)駅―川原湯温泉(かわらゆおんせん)駅間。2014年、岩島駅―長野原草津口(ながのはらくさつぐち)駅間のルート変更により、鉄道トンネルとしての役割を終了)のある町として知られた。おもな産業は、コンニャクイモ、シイタケ、ミョウガ、スイセンで知られる花卉(かき)栽培などの農業、および観光関連業。郷原遺跡(ごうばらいせき)から発掘された、ハート形の土偶(どぐう)は国指定重要文化財。国指定名勝の「吾妻峡」は関東の耶馬渓(やばけい)とよばれる景勝地。国の天然記念物に指定され、樹齢1000年以上を誇った「原町の大ケヤキ」は、三叉路にあるため排ガスと震動にさらされて樹勢が衰え、近年、枝を伐採して昔の面影は薄れてしまった。温川沿いの大戸(おおど)は、江戸時代には大戸道(信州道)の宿場として賑わい、大戸関所が設けられていた。1850年(嘉永3)関所破りの罪により、国定(くにさだ)村(伊勢崎市)無宿忠次郎(国定忠治)は大戸関所近くで磔刑に処せられた。のち処刑場所には忠治地蔵を建立。温川の上流に浅間隠温泉郷、吾妻川の上流には吾妻渓谷温泉郷などがある。面積253.91平方キロメートル、人口1万2728(2020)。

[編集部]


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百科事典マイペディア 「東吾妻」の意味・わかりやすい解説

東吾妻[町]【ひがしあがつま】

群馬県西部に位置する吾妻郡の町。町北部を吾妻川が東流する。南部には榛名山がそびえる。2006年3月,吾妻郡吾妻町,東村が合併し町制。JR吾妻線,国道145号線,406号線が通じる。253.91km2。1万5622人(2010)。

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