東海散士(読み)とうかいさんし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東海散士
とうかいさんし

[生]嘉永5(1852).12.2. 上総富津
[没]1922.9.25. 熱海
政治家,小説家,ジャーナリスト。本名,柴四朗。 1879年に渡米して経済学を学び,帰国後,政治小説『佳人之奇遇』を発表し,漸進的な自由民権の思想を説いた。『大阪毎日新聞主筆として活躍したが,のちに衆議院議員となり立憲革新党を結成,大隈=板垣連立内閣では農商務次官をつとめるなど,政治活動を続けた。

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百科事典マイペディアの解説

東海散士【とうかいさんし】

政治家,小説家,ジャーナリスト。本名柴四朗。会津藩の出身,維新期に亡国の悲哀を体験する。1879年渡米経済学を専攻した。1885年帰国,渡米中に構想を得た《佳人奇遇》刊行。構成上の不統一が目立つが,列強の圧力に苦しむ弱小国の国権主義的ナショナリズムをうたいあげ,青年読者から熱狂的に支持された。矢野竜渓の《経国美談》とともに政治小説の傑作とされる。国粋主義的な立場から政治運動に従事し,1895年,朝鮮で三浦梧楼らの閔妃暗殺に関与している。その後進歩党憲政党憲政本党,大同倶楽部の幹部。台湾軍司令官などを歴任した柴五郎は弟。
→関連項目政治小説毎日新聞

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朝日日本歴史人物事典の解説

東海散士

没年:大正11.9.25(1922)
生年:嘉永5.12.2(1853.1.11)
明治大正期の政治家,新聞記者,小説家。本名柴四朗。会津藩士柴由道,ふじの子。弟は陸軍大将柴五郎。幼少期は藩校日新館で漢学を学ぶ。戊辰戦争では会津城に籠城し母兄弟を失い自らも捕囚となった。釈放後苦学の末,ハーバード大学などで経済学を学んだ。明治18(1885)年帰国,ナショナリスティックな政治小説「佳人之奇遇」を発表し評判を得た。また谷干城などと欧化主義を批判する国粋主義的運動を起こした。19年再度外遊し,西欧列強批判を一層強め,帰国後の21年には『大阪毎日新聞』主筆に就任,同時に雑誌『経世評論』を発刊するなど対外硬の論陣を張った。第2回総選挙(1892)で当選,衆院議員となってからも対外硬派の一員として活躍した。

(有山輝雄)

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世界大百科事典 第2版の解説

とうかいさんし【東海散士】

1852‐1922(嘉永5‐大正11)
政治家,小説家,ジャーナリスト。本名柴四朗。安房国(千葉県)生れ。会津藩の出身で,戊辰戦争の降伏人として東京に護送されたが,釈放後は,各地の私塾,学校に学び,1877年西南戦争に従軍,谷干城知遇を得た。79年岩崎家の援助をうけて渡米,ハーバード大,ペンシルベニア大で経済学を専攻する。85年の帰国をきっかけに,滞米中に想を得た政治小説《佳人之奇遇》(1885‐97)を公刊,弱小民族のナショナリズムをうたいあげた格調高い叙事詩ふうの文章が,青年読者から熱狂的に支持された。

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大辞林 第三版の解説

とうかいさんし【東海散士】

1852~1922) 小説家・政治家。本名、柴四朗。会津藩士。のち衆議院議員。弱小民族のナショナリズムを浪漫的に描く政治小説「佳人之奇遇」で知られ、「東洋之佳人」「埃及エジプト近世史」などを執筆。また、国粋主義の立場で欧化政策を批判。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東海散士
とうかいさんし
(1852―1922)

政治家、小説家、新聞記者。本名柴四朗(しばしろう)。安房(あわ)国(千葉県)生まれ。もと会津藩士の出。弟に陸軍大将柴五郎(1859―1945)がいる。1868年(明治1)官軍により会津落城、一家悲運にあう。1879年渡米、ハーバード大学、ペンシルベニア大学などで経済学を学び、1885年帰朝。同年以降、長編小説『佳人之奇遇(かじんのきぐう)』を刊行、8編まで出し、1897年まで及んだ。規模雄大な政治小説として好評を博し、作者の熱情が行間にあふれている。1888年『大阪毎日新聞』主筆などを経て、1892年の総選挙に当選、以後政界に活躍したが、終始アジアでの国権伸張を念願とした。1898年大隈重信(おおくましげのぶ)・板垣退助(いたがきたいすけ)内閣の農商務次官、1915年(大正4)には外務参政官に就任した。大正11年9月25日、熱海(あたみ)の山荘で病没した。[岡 保生]
『『日本現代文学全集3 政治小説集』(1965・講談社) ▽大沼敏男・中丸宣明校注『新日本古典文学大系明治編17 政治小説集2』(2006・岩波書店)』

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世界大百科事典内の東海散士の言及

【アイルランド問題】より

…(2)保護貿易政策の論拠としてのアイルランド問題。犬養毅,東海散士らは,イギリスとの自由貿易がかつてアイルランド経済を破壊したごとく,自由貿易政策は日本経済を破滅させると説いた。明治末までの一つの大きな主張であった。…

【佳人之奇遇】より

東海散士の長編小説。1885‐97年(明治18‐30)刊。…

【政治小説】より

…古代ギリシアのテーベの勃興に素材を求めたこの作品は一種の歴史小説で,前編ではテーベにおける民主政治の回復,後編ではスパルタを打ち破って国威を発揚するまでの経緯が巧みな話術で語られている。《経国美談》と並び称される政治小説の傑作,東海散士の《佳人之奇遇》(1885‐97)は,スペインの幽蘭(ユーラン),アイルランドの紅蓮(コーレン)の2佳人を配した浪漫的な叙事詩ふうの作品であるが,作者が力をこめて語る帝国主義の犠牲に供された弱小民族の悲史と自由と独立を求めてやまない彼らの熱情は,同時代の青年から熱狂的に支持された。《佳人之奇遇》についであらわれた政治小説は,民権運動の敗北と国会開設への楽天的な期待を背景に,政治的主張はうすめられ,写実的な傾向が目立つようになった。…

【中東】より

…吉田には参謀本部の古川宣誉が同行し,この地域における帝政ロシアの南下政策に関心を寄せている。また近代史研究として,柴四郎(東海散士)の《埃及近世史》(1889)があり,当時としては基本的な英文文献によってまとめられ,西欧列強支配下のエジプト人から歴史的教訓を読み取り,被圧迫民族への共感を示している。 明治後期には,日本の台湾や朝鮮支配の参考資料として,イギリス,フランスの中東イスラム世界支配に関心をもつ一連の著作が現れた。…

※「東海散士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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