松代地震(読み)まつしろじしん

最新 地学事典 「松代地震」の解説

まつしろじしん
松代地震

Matsushiro earthquakes

1965年8月3日,長野市松代を中心に発生した群発地震は長期にわたり活動を続け,軽微な被害が各所に続発して住民に大きな不安を与えた。活動は消長を繰り返しつつ,しだいに北東~南西方向に広がった。地震発生回数の最も多かったのは,66年4月第2の活動の山を迎えたころで,松代で1日に無感地震6,000,有感地震1,000を超える日がいく日かあった。4月5日に群発地震中で最大のM5.4の地震が起こった。このころ,皆神山北東部に雁行状の地割れ群が発生し,これはN55°W方向に水平変位50cmの左横ずれ断層に起因するものと推定された。この断層の動きは,光波測量・三角測量の結果,地震の押し引き分布から知られた応力条件(東西に圧縮,南北に伸張)ともよく調和した。この地割れ群は,同年8月第3の活動の山が始まると著しく発達し,各所で湧水が始まり,これに起因する地すべりも起こった。水準測量により皆神山北東部を中心に最高90cmに及ぶ広範囲の土地隆起が検出されたが,これは上記の応力条件では説明できない。第3の活動の山が過ぎてから,地震回数はしだいに減少したが,依然として震度4あるいは5の地震が,若穂北東部,更埴東部,坂井などで散発した。被害地震は1971年まで続いた。この群発地震により放出されたエネルギーの総和M6.4の地震に相当するといわれている。参考文献:森本良平ほか(1967) 地震,2輯,20巻(特集号):187

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松代地震」の意味・わかりやすい解説

松代地震
まつしろじしん

長野県北部,松代町一帯に 1965年8月から発生し,3年以上続いた地震。地震活動は 1966年に最盛期を迎え,毎日震度 4~5の地震が起こり,一日の地震発生回数も最も多くなった。その後地震活動はやや広域化し,地すべりや湧水などの現象が起こったが,1967年頃からは震度も回数も減少した。1970年末までに有感地震が 6万2821回,そのうち震度 5に達したのは 9回であった。地震のエネルギーの総和は 1.7×1021erg(エルグ)で,マグニチュードM)6.3の地震 1回分に相当すると推定されている。地震の震源は浅く,ほとんどが深さ 10km以内であった。地震に伴って,地鳴り鳴動,地割れ,発光現象などが起こり,住民に不安を与えたが,防災対策が講じられ,人命家屋に対する被害は少なかった。松代地震は,深部から地殻上部に上昇してきた水により,岩盤の間隙水圧が高まり,破壊強度が低下したために引き起こされたと考えられている。この水は,同位体(アイソトープ)の研究から,マグマが冷却した際に放出され,下部地殻に蓄えられていた水と推定されている。(→群発地震

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百科事典マイペディア 「松代地震」の意味・わかりやすい解説

松代地震【まつしろじしん】

1965年8月から3年余にわたり長野市松代を中心に周辺一帯に発生した群発地震震源域は皆神山中心の半径数kmの範囲から,後には南西方面に広がった。有感総回数は松代で6万2821,総エネルギーはマグニチュード6.4に相当。1966年9〜10月ごろが地震活動のピークで,地すべり,山崩れが発生。地殻変動,地震活動,断層・地割れ,地磁気重力変化などの調査が集中的に行われた。

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