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池田荘 いけだのしょう

百科事典マイペディアの解説

池田荘【いけだのしょう】

大和国添上(そえかみ)郡の荘園。現奈良市池田町一帯。はじめ奈良興福寺雑役免(ぞうやくめん)荘園として現れるが,12世紀末までには同所に興福寺一乗(いちじょう)院領池田荘が成立。

池田荘【いけだのしょう】

遠江国豊田郡の荘園。現在の天竜川下流域,静岡県浜松市東部から磐田郡にかけた地域にあたる。当初は天竜川を東限としていたが,のちに河道が西に移ったため両岸にまたがることになった。

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世界大百科事典 第2版の解説

いけだのしょう【池田荘】

(1)大和国添上郡(現,奈良市池田町)にあった荘園。まず興福寺雑役免諸荘園中の一つとして現れる。1070年(延久2)の坪付帳によると総面積は55町1反300歩で,荘田は京南2条3,4里および3条3,4里にわたっていた。大部分は公田畠に設定されていたが,神社仏寺田も少し含まれている。この雑役免田反別1斗の負所米を興福寺に納める寺門領として鎌倉時代にも存続したと考えられるが,同時に同所には,鎌倉時代,2条4里の全域を占める興福寺一乗院領池田荘が成立していた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

池田荘
いけだのしょう

大和(やまと)国添上(そうのかみ)郡(現奈良市池田町付近)の興福寺領荘園。1070年(延久2)には、二条三、四里、三条三、四里の4里にわたって散在する合計55町余(1町は約119アール)の免田畠(めんでんぱた)で、興福寺はこれらの免田畠からおおむね雑役(ぞうえき)を収取できるにすぎず、この段階では国衙領(こくがりょう)としての性格のほうが強い。延久(えんきゅう)以後のいつごろかに興福寺一乗院(いちじょういん)領となり、1186年(文治2)には二条四里に荘域が集中した一円荘園として現れる。面積は36町余に減るが、2町前後のほぼ均等な名(みょう)が11名編成されており、一乗院の根本所領12か所の一つとして収取機構は整備された。二条四里に集中した文治(ぶんじ)の池田荘は、ほぼそのまま近世、近代の池田村へ連続し、村落史上からも注目されている。[安田次郎]
『渡辺澄夫著『増訂 畿内庄園の基礎構造』(1969・吉川弘文館) ▽稲垣泰彦著『日本中世社会史論』(1981・東京大学出版会)』

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世界大百科事典内の池田荘の言及

【池田[市]】より

…この地が池田と称されるようになったのは,南北朝時代,国人池田氏が台頭してからである。呉服荘は池田荘とも称したようで,池田氏はここを本貫として成長したのであろう。以後池田氏は室町後期には,守護細川氏の北摂方面の有力被官となり,塩川・伊丹氏と鼎立(ていりつ),五月山麓に池田城を構えた。…

※「池田荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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