松本(市)(読み)まつもと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松本(市)」の意味・わかりやすい解説

松本(市)
まつもと

長野県中西部にある松本盆地の中心都市。1907年(明治40)市制施行。1925年(大正14)松本村、1954年(昭和29)中山、島立(しまだち)、島内(しまうち)、芳川(よしかわ)、新(にい)、和田、神林(かんばやし)、笹賀(ささが)、寿(ことぶき)、岡田、入山辺(いりやまべ)、里山辺、今井の13村、1974年本郷村を編入。2005年(平成17)東筑摩(ひがしちくま)郡四賀村(しがむら)、南安曇(みなみあずみ)郡奈川村(ながわむら)、安曇村、梓川村(あずさがわむら)を、2010年、波田町(はたまち)を編入。2021年(令和3)中核市に移行。面積978.47平方キロメートル、人口24万1145(2020)。

 東部は筑摩(ちくま)山地の美ヶ原(うつくしがはら)、西部は北アルプス脊梁で岐阜県と境を接する。内陸にあるため、降水量は比較的少なく、奈川地区などとくに冬の寒さは厳しいが、降雪量は県北部に比して少ない。市街地は奈良井(ならい)川、田川東岸の女鳥羽(めとば)、薄(すすき)両河川の扇状地末端部を占めている。女鳥羽川以北を古くから北深志(きたふかし)、以南を南深志とよび、前者は近世城下町の武家町、後者は町人町であった。市街地の西部、南西部一帯は奈良井、田川の扇状地末端部にあたり、地下水が豊富である。北部の筑摩山地の丘陵部や東部の薄川の扇頂部は砂礫(されき)土壌からなる。梓川の右岸に広がる河岸段丘上の波田地区は、北東に傾斜をなしている。広大な安曇地区と奈川地区は「日本の屋根」長野県を象徴する3000メートル峰を連ねた山岳美観の一大宝庫である。

 JR篠ノ井線(しののいせん)、大糸線が通じ、JR中央本線の新宿、名古屋両駅から松本までの直通特急電車の運転も多い。上高地(かみこうち)方面へは新島々(しんしましま)まで松本電鉄上高地線が走り、国道19号、143号、147号、158号、254号が通じ、盆地の各方面へバスが発着する。南部の塩尻(しおじり)市との境界には松本空港があり、福岡、札幌(新千歳・丘珠(おかだま))空港との間に定期便がある。また北アルプスの遭難者救助ヘリコプター基地としても利用される。

[小林寛義]

歴史

奈良時代末か平安初期には、信濃国府(しなのこくふ)の所在地になった。国府の位置は確定されていないが、薄川左岸の筑摩(つかま)神社のあたりという説が多い。南北朝時代には甲斐(かい)(山梨県)の小笠原氏(おがさわらうじ)が本拠を構え、信濃守護を称した。戦国末期甲斐の武田氏はしばしば信濃侵略の拠点として松本に入っている。なお、松本は戦国末期まで深志とよばれ、武田氏の滅亡、織田信長の死後、1582年(天正10)小笠原貞慶(さだよし)がこの地を回復し、深志城松本城に改称したのが松本の名称の始めである。1590年石川氏が入封し、1594年(文禄3)天守閣を築き、城下町を整備した。その後、小笠原・戸田・松平氏らが在封し、1726年(享保11)以降、明治維新まで戸田氏6万石の所領であった。城下町には長野善光寺へ通じる善光寺街道と、西方の飛騨(ひだ)(岐阜県)高山へ通じる野麦街道(のむぎかいどう)、糸魚川(いといがわ)(新潟県)へ通じる糸魚川街道が集まり、盆地の交通の中心をなした。松本城は本丸と二の丸などが国の史跡に、また天守や月見櫓(やぐら)などが国宝に指定されている。

 1871年(明治4)には長野県の西半分と飛騨国をあわせた筑摩県の県庁所在地になったが、1876年県庁焼失で長野県に合併された。明治末に、陸軍歩兵第五〇連隊が設置され、第二次世界大戦終了までは軍都としても発展した。

[小林寛義]

産業

1964年に諏訪(すわ)地方とともに新産業都市地域に指定された。松本には近代工業と伝統工業が並存する。電機工場や、松本盆地で産するトマト、アスパラガスなどを原料にしたジュース、牛乳、酪農製品、缶詰などの食料品工業のほか、近年諏訪地方の精密機械工場が進出し、国道19号沿いに工場が分布する。一方、城下町松本には和菓子、民芸家具などの木工製品、それに近世後期からの綿製品、足袋(たび)などの工業が現在も続いている。西部の島立・島内地区は米作地、東部の入山辺地区は古くからブドウ産地として知られる。波田地区では、リンゴ、モモなどの果樹栽培が行われ、下原(しもはら)スイカが有名。

[小林寛義]

文化・観光

松本城とともに松本市が誇るものに旧開智学校(きゅうかいちがっこう)がある。1876年女鳥羽川の左岸に開校した小学校で、東京の開成学校(東京大学の前身)に模した洋風2階建て建築で、中央に八角塔がそびえ、国宝に指定されている。松本城の北に移築保存され、教育博物館として明治以来の教育資料3万点余が展示されている。1919年設置の旧制松本高校(現、信州大学)の旧校舎と講堂は「あがたの森文化会館」となっている。国の重要文化財指定の建造物に、室町時代の筑摩神社本殿、桃山時代の若宮神社本殿などがある。松本市立博物館は、松本地方を中心に県下の考古、歴史、民俗などの資料を収蔵し、七夕(たなばた)人形、民間信仰資料、農耕用具の各コレクションは国の重要有形民俗文化財に指定されている。

 1月初旬には女鳥羽川に沿う縄手(なわて)通りに飴市(あめいち)が立つ。かつて上杉氏が武田治下にあった松本地方の住民に塩を送った故事にちなむ塩市が前身といわれ、塩俵(しおだわら)を模した飴が売られる。

 市街の善光寺西街道と野麦街道の分岐点には牛繋石(うしつなぎいし)が残り、また、生子(なまこ)壁の古風な建物もあって城下町らしい風情を漂わせる。一方、松本駅前は再開発により近代的建物が並ぶ。

 東部の美ヶ原高原一帯は八ヶ岳(やつがたけ)中信高原国定公園の一部で、周辺には美ヶ原温泉がある。鉢伏山(はちぶせやま)北西麓の牛伏寺(ごふくじ)は真言(しんごん)宗の名刹(めいさつ)で、うしぶせ厄除観音(うしぶせやくよけかんのん)として知られる。市街北部の浅間温泉は長野県の代表的温泉の一つ。東方の美鈴(みすず)湖は釣りやオートキャンプの行楽に適している。このほか入山辺、扉(とびら)などの静寂な温泉がある。

 西部の安曇地区と奈川地区はそれぞれ穂高山群と乗鞍岳という観光資源を擁し、夏の登山・キャンプ、冬のスキー、さらに点在する温泉で多くの来訪者に親しまれている。

[小林寛義]

『『松本市史』全2巻(1933・松本市)』『『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌』全7冊(1957~1976・松本市教育会)』『『観光の松本シリーズ――史蹟文化財編』(1970・松本観光協会)』


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