江戸中期の前句付専門点者。名は正通。幼名勇之助。通称八右衛門。緑亭,無名庵と号す。浅草新堀端に住む。38歳で竜宝寺門前町などの名主を継ぎ,1757年に前句付点者となり,山手を中心地盤に,1~7月を休み,毎年8月から年末まで月並み興行。都会的俳諧的な句を採って人気を得,明和(1764-72)中には江戸の第一人者となったが,安永(1772-81)以後は狂歌に押され下降気味であった。なお,この定例会のほか,休会中も,角力会や組連主催の五の日興行の〈五五(ごご)の会〉の撰もしたが,彼の名を高めたのは高点付句集《柳多留》であった。単独句鑑賞用のこの句集が,独立詠としての川柳風狂句という新様式を生み,前句付点者川柳は,川柳風狂句の祖と仰がれることになる。ただし,彼の作品は発句3句のみで,作品をもたぬ点者として特異な存在といえる。辞世は〈凩(こがらし)やあとで芽をふけ川柳〉と伝わるが疑わしい。
2世以後の川柳諸代のうち,とくに活躍したのは,〈俳風狂句の祖〉を名のった4世川柳眠亭賤丸(みんていせんがん)(1778-1844)と,〈柳風狂句〉と改称した5世川柳腥斎佃(なまぐさいたつくり)であるが,観念的教訓的な句に落ちてしまった。
執筆者:鈴木 勝忠
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1718~90.9.23
江戸中期の前句付点者。通称八右衛門。江戸浅草新堀端の竜宝寺門前の名主。前句付点者として1757年(宝暦7)8月25日最初の万句合を興行。以降,月3回5の日に興行。62年10月15日には総句高1万句をこし,流行ぶりがうかがえる。川柳の出題は前句付の14字題と冠付のみであり,総句高に対する番勝句の比率も高い。新しい趣向を好み,選句眼にも優れていたことが,上級武士も含む江戸の作者の嗜好にかなった。65年(明和2)7月刊の「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」は,川柳評前句付の流行に拍車をかけた。川柳の号は5世まで襲名された。
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→川柳
…17音を基本とする単独詠だが,発句(ほつく)のように季語や切字(きれじ)を要求せず,人事人情を対象にして端的におもしろくとらえる軽妙洒脱な味を本領とする。江戸の柄井川柳が《柳多留(やなぎだる)》(初編1765)で前句付の前句を省く編集法をとったため,しだいに付け味よりも付句一句の作柄が問題とされ,やがて5・7・5単独一句で作られるようになり,初代川柳の没後,〈下女〉〈居候〉などの題詠として前句付様式から離脱独立した。〈川柳〉の名称が一般化したのは明治の中ごろからである。…
※「柄井川柳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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