柏原遺跡(読み)かせばらいせき

日本歴史地名大系 「柏原遺跡」の解説

柏原遺跡
かせばらいせき

[現在地名]橋本市柏原

縄文時代から近世にいたる複合遺跡。紀ノ川北岸に位置し、遺跡の範囲は東西二五〇メートル、南北五〇〇メートル前後である。周辺は北から南に向かって緩やかに下降する平野部で、東西には比高差三〇メートル前後の丘陵がある。丘陵上には古墳(群)瓦窯跡が、周辺には奈良時代から中世にかけての寺院跡、中世の館跡および砦跡などが確認されている。

発掘調査は、平成七年(一九九五)・同一四年・同一五年・同一六年の四回実施され、このうち平成一四年以降の調査は、京奈和けいなわ自動車道の建設工事に伴うものである。

調査で検出された遺構には、弥生時代中期の竪穴住居方形周溝墓古墳時代から飛鳥時代にかけての竪穴住居土壙墓土器墓棺・竪穴式石槨・掘立柱建物、中世の土壙墓・掘立柱建物、近世の土坑などがある。

柏原遺跡
かしはらいせき

[現在地名]高月町柏原

高時たかとき川右岸の自然堤防上に立地。古墳時代後期―平安時代中期の集落跡。七世紀初めから九世紀の竪穴住居跡一〇棟が検出された。当遺跡では、竪穴住居から掘立柱建物への移行が奈良時代までに完了せず平安時代まで残り、畿内よりやや遅れている。この遅れは官衙的性格の強い長浜市の大東おおひがし遺跡や、それに類する余呉よご桜内さくらうち遺跡が奈良時代に掘立柱建物に移行するのに対し、当遺跡が一般の住居であったためと考えられる。

柏原遺跡
かしはらいせき

[現在地名]南区柏原四―六丁目

樋井ひい川上流の標高三〇―八〇メートルの丘陵地帯にある。昭和五四年(一九七九)から同五九年に発掘調査が行われ、旧石器時代、縄文時代―古代、中世の複合遺跡が確認された。縄文草創期―早期の住居や炉跡が多数あり、土器や石器などの出土品も多く、福岡平野を代表する集落遺跡である。草創期末の土器型式柏原式の標式遺跡となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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