柴田錬三郎(読み)シバタレンザブロウ

デジタル大辞泉 「柴田錬三郎」の意味・読み・例文・類語

しばた‐れんざぶろう〔‐レンザブラウ〕【柴田錬三郎】

[1917~1978]小説家岡山の生まれ。本姓斎藤。スピード感あふれる文体で、自由な発想時代小説を数多く執筆。剣豪小説で絶大な人気を集めた。「イエスのすえ」で直木賞受賞。他に「眠狂四郎ねむりきょうしろう無頼控」「赤い影法師」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「柴田錬三郎」の意味・読み・例文・類語

しばた‐れんざぶろう【柴田錬三郎】

  1. 小説家。岡山県出身。昭和二六年(一九五一)「イエスの裔(すえ)」で直木賞受賞。ほかに「眠狂四郎無頼控」「図々しい奴」「剣は知っていた」「赤い影法師」など。大正六~昭和五三年(一九一七‐七八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「柴田錬三郎」の解説

柴田 錬三郎
シバタ レンザブロウ

昭和期の小説家



生年
大正6(1917)年3月26日

没年
昭和53(1978)年6月30日

出生地
岡山県邑久郡鶴山村(現・備前市鶴海)

本名
斎藤 錬三郎

学歴〔年〕
慶応義塾大学文学部支那文学科〔昭和15年〕卒

主な受賞名〔年〕
直木賞(第26回 昭26年度)〔昭和27年〕「イエスの裔」,吉川英治文学賞(第4回)〔昭和45年〕「三国志 英雄ここにあり」

経歴
大学在学中から「三田文学」などに小説を発表。卒業後、日本出版協会に入り、17年衛生兵として応召。戦後は「日本読書新聞」の再刊奔走した。のち「書評」編集長。24年日本読書新聞社を退社し、文筆に専念。26年「デス・マスク」で芥川賞候補となり、27年「イエスの裔」で第26回直木賞を受賞。31年より「週刊新潮」に「眠狂四郎無頼控」を連載して人気作家となり、以後「赤い影法師」「孤剣は折れず」「剣は知っていた」「運命峠」「剣鬼」など剣豪時代小説を発表。45年歴史小説「三国志 英雄ここにあり」で吉川英治文学賞を受賞。直木賞審査委員、日本文芸家協会評議員を務めた。他に現代小説「図々しい奴」、エッセイ「地べたから物申す」があり、「柴田練三郎時代小説全集」(全26巻 新潮社)、「柴田練三郎自選時代小説全集」(全30巻 集英社)、「柴田練三郎選集」(全18巻 集英社)が刊行されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「柴田錬三郎」の意味・わかりやすい解説

柴田錬三郎 (しばたれんざぶろう)
生没年:1917-78(大正6-昭和53)

戦後の代表的な時代小説作家。岡山県生れ。本姓は斎藤。慶応大学支那文学科卒。予科在学中に処女作《十円紙幣》(1938)を発表,大学では魯迅に傾倒した。日本出版協会に勤めるうち召集され南方に派遣されたが,途中で遭難し奇跡的に助かった。1949年文筆に専念,《イエスの裔》(1952)で第26回直木賞を受けた。しかしよく知られるようになるのは56年に筆を起こす《眠狂四郎無頼控》(1956-58)からであり,伝奇性に富んだ時代ロマンの書き手として一時代をつくった。〈眠狂四郎〉シリーズのほかに《剣は知っていた》(1956-57),《柴錬立川文庫》,《図々しい奴》(1960-61)など話題作も多く,《英雄ここにあり》で1970年第4回吉川英治文学賞を受けた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「柴田錬三郎」の意味・わかりやすい解説

柴田錬三郎
しばたれんざぶろう
(1917―1978)

小説家。本姓斎藤。岡山県生まれ。慶応義塾大学支那(しな)文学科卒業。1942年(昭和17)応召、南方海域で漂流ののち奇跡的に生還。終戦後、編集者生活を経て51年(昭和26)『イエスの裔(すえ)』で直木賞を受賞。56年『眠(ねむり)狂四郎無頼控』(1956~58)で時代小説作家としての地位を確立、70年『柴錬三国志 英雄ここにあり』で吉川英治文学賞を受賞した。奔放な想像力を羽ばたかせた伝奇小説『赤い影法師』『木乃伊(みいら)館』『異常の門』『血汐笛(ちしおぶえ)』などに作者の本領が発揮され、むだを省いたスピード感のある即物的文体に特色がある。

[磯貝勝太郎]

『『イエスの裔』(1980・冬樹社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「柴田錬三郎」の意味・わかりやすい解説

柴田錬三郎【しばたれんざぶろう】

小説家。岡山県出身。本姓斎藤。慶応大学支那文学科卒。大学時代は魯迅を研究。予科在学中,《三田文学》に処女作〈十円紙幣〉を発表。南方戦線で奇跡的に助かった経験を持つ。編集者を経て1952年《イエスの裔(すえ)》で直木賞受賞。1956年《週刊新潮》の創刊とともに連載された《眠狂四郎無頼控》は,剣豪小説ブームに先鞭をつけた。ほかに《剣は知っていた》《図々しい奴》など話題作も多く,《英雄ここにあり》は1970年吉川英治文学賞受賞。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「柴田錬三郎」の意味・わかりやすい解説

柴田錬三郎
しばたれんざぶろう

[生]1917.3.26. 岡山,鶴山
[没]1978.6.30. 東京
小説家。本姓,斎藤。 1940年慶應義塾大学支那文学科卒業。魯迅に傾倒する一方キリシタンの知識を蓄積。 42年応召,乗船が撃沈され,奇跡的に生を得た。敗戦後『日本読書新聞』の再刊に奔走。『イエスの裔 (すえ) 』 (1951) で直木賞を受け,以後『真説河内山宗俊』 (52) ,『眠狂四郎無頼控』 (56~58) などで五味康祐と並ぶ「剣豪小説」の人気作家となった。ほかに『赤い影法師』 (60) ,『図々しい奴』 (60~61) など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柴田錬三郎」の解説

柴田錬三郎 しばた-れんざぶろう

1917-1978 昭和時代の小説家。
大正6年3月26日生まれ。佐藤春夫に師事し,昭和27年「イエスの裔(すえ)」で直木賞。31年から週刊誌に連載した「眠狂四郎無頼控」で剣豪作家としての地位を確立し,時代小説「赤い影法師」,「柴錬三国志・英雄ここにあり」(45年吉川英治文学賞),現代小説「図々しい奴」などを発表した。昭和53年6月30日死去。61歳。岡山県出身。慶大卒。本名は斎藤錬三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「柴田錬三郎」の解説

柴田 錬三郎 (しばた れんざぶろう)

生年月日:1917年3月26日
昭和時代の小説家
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android