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査慎行 さしんこうZha Shen-xing

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

査慎行
さしんこう
Zha Shen-xing

[生]順治7(1650)
[没]雍正5(1727)
中国,清の詩人。浙江省海寧の人。字,悔余。号,初白。康煕 42 (1703) 年進士に及第,翰林院編修となったが,官僚生活が肌に合わず同 52年辞職して故郷に帰り,田園生活を楽しんだ。生涯をかけて『東坡先生編年詩』を纂修し,それに注をつけたほど蘇軾に傾倒し,典故修辞にあまり意を用いずに自然の妙趣を得る詩風を主張して,風景や旅情をうたった清新な佳編をつくり,王士禎詩名を競うとともに,以後宋詩の風が流行するもとをつくった。『敬業堂詩集・続集』 (56巻) がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

さしんこう【査慎行 Zhā Shèn xíng】

1650‐1727
中国,清代前期の詩人。浙江省海寧の出身。1689年(康熙28)朝廷の忌日に洪昇《長生殿》観劇のかどで譴責され,嗣璉を改め慎行とした。字は悔余,号は初白。黄宗羲は哲学上の師,朱彝尊(しゆいそん)は文学上の先輩。詩人としての知名度をかわれ,1702年に翰林院に抜擢,翌年に進士,以後10年間康熙帝に伺候した。詩はすべてで5000余首,なかでも,退官後の26年(雍正4),弟査嗣庭の〈文字の獄〉に連座,出頭・下獄したときの150首には平明なうちにも緊迫感がみなぎる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

査慎行
さしんこう
(1650―1727)

中国、清(しん)代初期の詩人。字(あざな)は悔余(かいよ)、号は初白(しょはく)。浙江(せっこう)省海寧県の人。原名を嗣(しれん)、字を夏重(かじゅう)といったが、1689年(康煕28)不敬罪に連座して改名。1703年に進士に及第、翰林院(かんりんいん)侍講を最終官として13年に引退したあと、ほぼ郷里で過ごすが、最晩年、弟嗣庭(してい)の不敬罪のために投獄され、翌年出獄後まもなく没した。その活躍の時期は聖祖の康煕(こうき)年間(1662~1722)で、勅撰の『佩文斎詠物詩選(はいぶんさいえいぶつしせん)』『佩文韻府(はいぶんいんぷ)』の編纂(へんさん)に参加した。彼は宋詩(そうし)、とりわけ蘇軾(そしょく)の詩に多くを学び、『補注東坡(とうば)先生編年詩』(略称『蘇詩補注』)50巻の労作がある。詩風は自然の趣(おもむき)を尊ぶ穏やかな味わいに特色を示し、宋詩尊重派の代表と目されている。『敬業堂(けいぎょうどう)詩集』50巻・続集6巻がある。[佐藤 保]
『近藤光男著『漢詩大系22 清詩選』(1967・集英社) ▽「査初白」(『吉川幸次郎全集16』所収・1970・筑摩書房)』

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