梶原流(読み)カジワラリュウ

デジタル大辞泉 「梶原流」の意味・読み・例文・類語

かじわら‐りゅう〔かぢはらリウ〕【×梶原流】

柔術一派徳川家光のころ梶原直景なおかげに始まるという。

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精選版 日本国語大辞典 「梶原流」の意味・読み・例文・類語

かじわら‐りゅうかぢはらリウ【梶原流】

  1. 〘 名詞 〙 古武術の一派。制剛流柔術に居合、捕手(ほしゅ)小具足術などを取り入れたもの。始祖は梶原源左衛門直景。正保年間(一六四四‐四八)、尾張徳川家の柔術師範役となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梶原流」の意味・わかりやすい解説

梶原流
かじわらりゅう

近世尾張(おわり)藩で行われた制剛流俰居合(やわらいあい)の俗称。流祖は梶原源左衛門直景(なおかげ)(1610~85)。直景の父兵部景通(ひょうぶかげみち)は、もと小田原北条氏の家臣で、同氏の滅亡後、美濃(みの)大垣の戸田左門に仕えたが、1628年(寛永5)ゆえあって父子ともに退身し、牢人(ろうにん)となって大坂に移った。ときに直景18歳、兵法者として立つことを志し、同地の水早長左衛門信正(みずはやちょうざえもんのぶまさ)について制剛流俰を、兼ねて川上伊左衛門重忠(しげただ)に居合を学び、よくその奥義を究め、さらに諸国を遍歴して、一伝流捕手(ほしゅ)、竹内流(たけのうちりゅう)小具足腰廻(こぐそくこしのまわり)、難波流(なんばりゅう)、一無流(いちむりゅう)などの諸流を修め、体術の精妙を得た。やがて江戸へ出て、名を口演随身(こうえんずいしん)と改め、両国道場を開き、「制剛流俰組打骨砕(くみうちほねくだ)キノ傳」という看板を掲げて多くの門人を集めた。1644年(正保1)2月、尾張侯徳川義直(よしなお)の知るところとなり、家老渡辺家に付属し、本姓に復し150石を給せられ、家中諸士に教授した。以後2代景明(かげあき)から9代景富(かげとみ)に至るまで、累代同藩の師範役を勤め幕末に及んだ。

[渡邉一郎]

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デジタル大辞泉プラス 「梶原流」の解説

梶原流

武術の流派のひとつ。制剛流柔術開祖・水早(みずはや)長左衛門信正の高弟、梶原源左衛門直景(なおかげ)(1610~85)が、諸国で浅山一伝流、竹内流などさまざまな武術を修めて、江戸・両国に柔術のほか居合術・縄術なども教える道場を構えたのが起源。“制剛流やわら居合”ともする(“やわら”の漢字表記は人偏に“和”)。

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