森山遺跡(読み)もりやまいせき

日本歴史地名大系 「森山遺跡」の解説

森山遺跡
もりやまいせき

[現在地名]三光村森山

中津市と三光村が隣接する地域は、大小丘陵と谷が入り込んだ複雑な地形を呈し、遺跡は犬丸いぬまる川流域の平野部を一望する標高六〇メートル、水田との比高四〇メートルの急峻な丘陵上に立地する。国道一〇号のバイパス建設に伴って、幅四〇メートルの尾根の半分から北側斜面を含む部分の発掘調査が実施されている。その結果、弥生時代前期中頃に小型の貯蔵穴や土壙が丘陵の先端にまず出現し、中期中頃から後半になると丘陵上を区画する二条の溝が掘られ、中央部に墓地、その周辺に住居・貯蔵穴・土壙群などが造られたことが明らかである。

森山遺跡
もりやまいせき

[現在地名]城陽市字富野 森山

宇治丘陵より東西に派生する標高三五―三八メートルの丘陵上に立地する縄文時代後期―古墳時代の集落跡。

縄文時代後期の竪穴住居跡六戸、配石遺構一基、弥生時代中期―後期の竪穴住居跡二戸、甕棺一基、古墳時代の竪穴住居跡群などが発見されている。古墳時代の竪穴住居跡群は前期と後期とに分れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「森山遺跡」の解説

もりやまいせき【森山遺跡】


京都府城陽(じょうよう)市富野森山にある集落跡。市域の西縁を南北に貫流する木津川を望む台地上に位置し、縄文時代後期中葉を中心とする集落跡で、弥生時代と古墳時代の遺構遺物もある。縄文時代の住居跡は直径約10mの円形竪穴(たてあな)住居跡をはじめ、径6~10mの竪穴住居跡が5つある。竪穴住居の床面にはやや掘りくぼめた地床炉が設けられ、住居跡の周囲には性格不明の土坑があるが、南西部には少なく、集落の広場的機能を果たした場所と考えられている。また南の縁には、こぶし大の礫(れき)を集めた配石遺構が1基発掘されており、墓跡の可能性がある。縄文時代の遺物には後期中ごろ~後半の土器をはじめ、石鏃(せきぞく)170、敲石(こうせき)55、磨石(すりいし)4、石棒4がある。ほかに大量のサヌカイト剝片(はくへん)があり、さかんに石器製作が行われたことがわかる。近畿では縄文時代の集落は少ないにもかかわらず、豊富な遺物を保有する中核的な集落跡として重要である。また、弥生時代の遺構としては竪穴住居跡2、甕棺(かめかん)1があり、さらに古墳時代の竪穴住居跡12、甕棺1、その他の遺構がある。とくに古墳時代初頭のもので、東西40m、南北32mの方形台状に盛り土し、その周囲に幅4m、深さ1.5mの溝をめぐらせた遺構は注目される。この周溝の西南隅から、古式(布留式(ふるしき))土師器(はじき)の高坏(たかつき)や小型丸底土器が集中して出土しており、葬送儀礼など特殊な用途があったとする説もある。1978年(昭和53)に国の史跡に指定された。JR奈良線長池駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報