中国,南京市の北東郊外17km,棲霞山,一名は摂山(しようざん)の麓に位置する。栖霞寺ともかく。済南の霊巌寺,天台の国清寺,荆州の玉泉寺とともに中国四大名刹の一つ。5世紀六朝の南斉時代の創建。つづく6世紀梁代に僧朗が住して以後,〈三論(中論,十二門論,百論)〉の学問の中心となり,〈三論宗〉を確立した隋の吉蔵(きちぞう)は僧朗3代の弟子である。また陳代には,江南でははじめて達磨の禅法がここに伝えられた。現在,石窟型式の千仏巌,仏伝にもとづいて釈迦の一生を示す八相図を彫刻した五重の石造舎利塔が存在する。千仏巌は斉・梁時代にさかのぼり,舎利塔は隋代に建てられたものの五代南唐時代の重建である。ともに仏教芸術として重要な意義をもつ。また門前の碑亭には,唐の上元3年(676)に建てられた唐の高宗撰《明徴君碑》が収められ,棲霞寺創建の由来を知ることができる。
執筆者:吉川 忠夫
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…もとは嵯峨天皇の皇子,源融(みなもとのとおる)の山荘〈棲霞観(せいかかん)〉のあった所。融の死後,寺に改められて棲霞寺と号した。東大寺の僧奝然(ちようねん)が入宋し,985年(雍熙2)台州で優塡王(うでんのう)造の栴檀(せんだん)釈迦如来立像を模刻させて持ち帰り,1016年(長和5)奝然の死後,弟子盛算が棲霞寺内の釈迦堂におさめ,清凉寺と号した。…
※「棲霞寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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