横屋村(読み)よこやむら

日本歴史地名大系 「横屋村」の解説

横屋村
よこやむら

[現在地名]東灘区魚崎北町うおざききたまち一―八丁目・甲南町こうなんちよう三―五丁目・魚崎中町うおざきなかまち一―四丁目・魚崎南町うおざきみなみまち一―二丁目・同六丁目

魚崎村の北、六甲ろつこう山地南麓沖積地に位置する。中世には山路やまじ庄内にあり、永禄一二年(一五六九)一二月吉日の山路庄公事銭取納帳案(高井文書)には横屋村分の項があり、地名に「八ノ坪」「井手」「谷はミ」「つるき」「西ノ坪」などがみえる。江戸時代の領主変遷石屋村いしやむらと同じ。慶長国絵図に「横石村」とみえるのが当村と思われ、高三三四石余、その北西に「出在家」がみえる。


横屋村
よこやむら

[現在地名]鏡村横矢よこや

竹奈路たけのなろ村の南にあり、標高約三〇〇―四〇〇メートルの緩傾斜地に集落が立地。領家りようけ郷一四ヵ村の一で「土佐州郡志」に「当竹奈路西、東限去坂波多川・地頭分之的淵、西限増原村・中追村佐流石、南限上利、北限竹奈路・地頭分之的淵及吾川郡之上八川、縦横一里強、(中略)其土黒、上横屋・池河内二村属此村」とみえる。

天正一七年(一五八九)の領家山地検帳に「横屋名」がみえ、無姓者の扣地・作地で地積二町八反余。


横屋村
よこやむら

[現在地名]養老町横屋

津屋つや川の左岸有尾ありお村の南方にある。南西津屋村(現海津郡南濃町)域内が近世初頭に開発されて成立、古くは新開横屋とよばれたという(新撰美濃志)。寛永二一年(一六四四)横屋新田再作の成就祈願のため伊勢神領として牧武左衛門など四人が二町歩の田を寄進している(「神田寄進帳」養老郡志)正保郷帳には「津屋村之内横屋村新田」とみえ(岩瀬本正保郷帳では横屋村)、高七九九石余で、うち二八八石余が高須藩領、五一一石余が幕府領。承応二年(一六五三)この幕府領五一一石余が津屋村から分離独立し横屋村になった(養老町史)元禄郷帳では高五一一石余。元禄七年(一六九四)宗門改帳(寺倉文書)では家数三三・人数二七八。


横屋村
よこやむら

[現在地名]巣南町横屋

現巣南町の東南に位置し、揖斐いび川とさい川に挟まれた平坦低地に立地。古橋ふるはし輪中に属する。集落は犀川沿いの自然堤防上にある。枝村に下切村がある(新撰美濃志)慶長郷帳には古橋横屋村とみえ高五八九石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では西尾嘉教(揖斐藩)領。その後高一二二石余は嘉教の養子氏教が分家したとき同氏領になった。残り四六六石余は元和九年西尾本家断絶により幕府領となり、寛永一二年(一六三五)大垣藩預となって、ともに幕末に至った。


横屋村
よこやむら

[現在地名]八千代町横屋

天船下あまふねしも村の北西に位置し、野間のま川の上流域西岸にある。慶長国絵図に「横矢村」と記載される。正保郷帳では田方二八石余・畑方五五石余、山役・杉原役があり、幕府領。旧高旧領取調帳でも同領。延宝五年(一六七七)検地帳(横屋区有文書)によれば高四七石余・反別五町二反余、小物成は山手銀二六匁余・杉原役銀二〇匁。天保郷帳でも同高。くわ谷について天船下村との間で紛争が起きたが、元禄五年(一六九二)村内の地と認められた(「言上書」八千代町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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