北海道中央部、夕張炭田北部山間の旧炭鉱都市。1958年(昭和33)市制施行。市名は、市を貫流するペンケ・ウタシナイ(上手にある砂のある川)にちなむ。旧国鉄歌志内線はJR移行後の1988年バスに転換。交通は西に接する砂川市を通るJR函館(はこだて)本線、国道12号、道央自動車道との連絡道による。1890年(明治23)北海道炭礦(たんこう)鉄道会社(北炭)により開坑、良質の原料炭を産出、翌年には岩見沢との間に鉄道が開通、当初、空知(そらち)川沿岸の奥地であった赤平(あかびら)、芦別(あしべつ)などは、この地を通じて入植された。その後、住友歌志内鉱などを加え、最盛期には大小10山以上、人口も4万を超えた。石炭不況による合理化で閉山が進み、最後の空知炭鉱も1995年(平成7)に閉山した。狭い谷一つの市域のため、石炭産業以外にみるべきものはなく、下流の文珠(もんじゅ)地区に工業団地造成を図り、皮製品、縫製、液晶ディスプレーなどの工場が立地。神威岳(かもいだけ)自然公園、かもい岳国際スキー場などの整備で観光産業に力を入れ、人口流出の阻止に努めている。面積55.95平方キロメートル、人口2989。人口は市としては全国最小である(2020)。
[柏村一郎]
『『歌志内市史』(1964・歌志内市)』
北海道中央部,空知地方中部の市。1958年市制。人口4387(2010)。全国で最も人口の少ない市である。面積56km2で,道内の市では最も狭く,夕張山地北部の山地にあたり,ペンケウタシュナイ川が河谷をつくっている。この地域の炭層は1873年ころ榎本武揚により発見され,90年北海道炭礦鉄道会社(のちの北海道汽船会社)の空知炭鉱の開坑で開発が始まり,翌年岩見沢との間に鉄道(1988年歌志内~砂川間は廃止)が開通し,中心市街は終点駅付近に成立した。純炭鉱都市として発展し,48年には北炭,住友の大手2社を含む12炭山が稼働し,人口も4万6000人に及んだが,50年代後半から炭鉱は合理化期に入って閉山が相次ぎ,63年北炭の空知・神威両鉱,71年住友歌志内鉱が閉山した。90年代まで操業していた空知炭鉱も閉山した。市は工業団地の造成など企業誘致と観光開発に努め,人口定着をはかっている。
執筆者:岡本 次郎
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